伊藤銀月の『百字文選』正続という小型本を手に入れた。正編は、明治37年5月、如山堂書店刊。続編『続百字文選』は、明治37年10月、如山堂書店刊。
伊藤銀月(1871-1944)は、新聞『萬朝報』の記者として活躍。百字文は、新聞読者が応募した短文で、『百字文選』は、秀作のアンソロジーである。序文で、銀月は、百字文は、文章を書く修錬になり、、将来の大作のメモという意味を持つと述べ、「百字文は、美文である、実用文である、評論文である、叙事文である、想像文である」と書いている。1910年代前後に盛行する小品と同じく、百字文も身辺雑記から想像的な虚構までをふくむ広い領域にわたるものと考えられていたことがわかる。
明治36年12月27日の第一回当選作から、創作的な一編を紹介してみよう。ルビは括弧内に記した。
▲侠客紫丹次 茨城 小泉長三
通り掛つた武士の鼻先振上ぐる根木(ねつき)に不意を喰つて蹌踉(よろめ)く機(とたん)下駄の緒ぷつり己(うぬ)小奴(こわつぱ)と領首(えりがみ)取られた一人の腕白己(おの)が小鬢の毛一握りぴりツと抜いて叔父さん是で結(す)げて呉んねぇな。腕白人となりて侠客となり痣を綽号(あだな)の紫丹次
銀月は、「是は驚くべき一例」だと言い、この作品から学べることは、「百字文を以て一篇の伝記を作り得ることである、百字文を以て一篇の小説を作り得ることである、百字文が百篇あれば、百人の偉人豪傑の伝記も作り得るし、百種の短篇小説をも作り得るのである」と評している。
『続百字文選』の表紙は、藤島風、ミュシャ風くずれか。
