森鷗外が、『めさまし草』について、長原孝太郎に、裏表紙を白いままにしておくのは変だから何か描くとよいだろう、といったというが、そうした埋め草的発想が裏絵のはじまりなのだろうか。このあたりは、もっと調べてみないと確かなことは言えない。
ただ、裏表紙を広告で埋めて、刊行費の足しにしようという発想はなかったことがわかる。明治期には、商業主義とはべつのところで、多くの雑誌が発行されて、それが文学をささえていたことになる。第一次『明星』の発行部数は、最盛期で7000部といわれているので、出版資本によらない、多くの文学雑誌の発行部数は、5000部を前後する程度であったのではないか。これは推測で確たる根拠があるわけではないが。
『ホトトギス』の裏絵は、四季折々の風景というものが多いが、埋め草をこえて、画家たちが腕をふるおうという気持が感じられる。表紙絵は、通年で同じものが使われるので、裏絵に個性が出てくることになる。多色石版を初期から使っているが、画家によってタッチが異なりおもしろい。
明治44年11月の裏絵は、小川千甕(おがわせんよう)の「夜」である。電話ボックス内の男女の逢瀬という着想は、宮武外骨のもとで活躍した墨池亭黒坊を連想させるが、千甕の絵は、諷刺の意味はおさえて、品よく仕上げられている。
小川千甕については、図録『ホトトギス百年』(1997年3月、柿衞文庫)から紹介を引いておこう。
小川千甕 おがわせんよう
本名多三郎。明治十五年十月三日、京都生まれ。画家。浅井忠に洋画を学び、「ホトトギス」にはデッサン・スケッチ風の挿絵を寄せた。同四十三年上京。日本画にも精通して、俳画もよくす。大正二年欧州諸国を巡歴。著作に『画集小川千甕』など。昭和四十六年二月八日没。八十八歳。(1882~1971)
油井一人編『20世紀物故日本画家事典』(1998年9月、美術年鑑社)によれば、浅井忠没後、京都市立陶磁器試験場の技手を勤めた後、上京し、兄の小説家小川煙村の紹介で、『ホトトギス』に描くようになった、とある。
