『金色夜叉画譜・上』で、もっとも新しさを感じさせるのは、龍子川端昇太郎である。この頃は、まだ龍子となのっていない。
むろん、スケッチ画で知られていた太田三郎の絵は、職人的な線の運びが見事であるし、名取春仙は、「朝日新聞」の連載小説(夏目漱石『三四郎』、森田草平『煤煙』など)の挿絵で、筆書きの柔軟な線描を確立していた。川端には、それらに負けない感覚の新しさがある。
夜叉となった間貫一は、多色木版で描かれている。
*図版省略
夜叉に抱かれた裸身の間貫一というイメージは斬新である。宮に裏切られたため、自ら高利貸しとなって復讐するという貫一の行動には、無理があることは、作品の中でも自覚されている。偶然、宮にであった落魄した荒尾譲介は、
高が一婦女子に棄てられたが為に志を挫いて、命を抛ったも同前の堕落に果てる彼の不心得
というように、貫一の行動を評している。しかし、世間の道理から見れば、不条理な貫一の行動も、貫一の主観からすれば、そうするしかないという正しさのあらわれなのである。
川端の絵は、たとえ夜叉に抱かれるとしても、自らの行為の正しさを信じている貫一の姿をうまくとらえている。この絵は、愛に裏切られた者の傷の深さを、距離をとって表現しているといってよいだろう。
こうした新しい表現を可能にした龍子川端昇太郎とは、どのような人か、少し調べてみたくなった。
〔付記、2021/10/01 21:06〕訂正。序文の署名は「龍子」とあり、刊行の時点で龍子を名告っていた。
