川端龍子のこと(その2)

 『金色夜叉画譜・上』の川端昇太郎(龍子)のサインは、次のようなものだ。

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 何を表しているのだろう。

 川端龍子の自伝『画人生涯筆一管』(1972年3月、東出版)によれば、龍子という号が一般的に認知されたのは、大正3年、大正博覧会に二曲半双屏風《観光客》を出品して、入選したときであるという。
 自伝には、「雅号「龍子」の由来―父への抗議」という一節があり、次のように書かれている。

この雅号はだれにつけてもらったわけのものでもなく、自分独りの考えでつけたものである。私の母勢以は平野なおの独り娘で、しかも平野家の戸主であった。父の信吉もまた川端家へ養子にはいって戸主となったので、戸主同士の二人は法律上の婚姻の手続きをふむことが出来なかった。そこで二人の間に生れた私は戸籍の上へ嫡男として届け出ることが出来ず、父がわが子であることを認知して、庶子男として届けられていたのである。

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 龍子がこのことを知ったのは、徴兵検査を受けるために戸籍謄本を見たときであった。明治38年のことである。戸主同士の結婚を禁じていた制約について、当時無知であった龍子は、父を恨んだ。

「俺は龍の落し子なのだ」というような気慨がその時の私の心を揺すぶって「龍子」という雅号を私が自分からつける気になった。そしてこれこそ自分の生んだ藝術の戸籍なのだと考えて、その当時の自分を慰めることによって、私の心の調和をはかろうとしたのである。

 その後、父信吉は、龍子の異母弟、川端茅舎(信一)の母を入籍したため、龍子は、「法律上では名実ともに父の庶子」となった。

 サインは、タツノオトシゴを表しているように思われる。