フェイク

 Blog2011122

 

 昔、テレビでアジアンの隅田美保が結婚するというドキュメント番組があって、それがフェイク(やらせ)であったことがあった。それなりによくできていたが、啓発しようというような意図はなかったと思われる。

 『ドキュメント・森達也の「ドキュメンタリーは嘘をつく」』(2009年4月、キネマ旬報社)には、啓発の意図によって作られたフェイクのドキュメンタリー番組のDVDが付いている。制作過程の記録も収めてある。
 番組は、2006年にテレビ東京系列で放映された。制作にあたった替山茂樹によると次のような設定である。

 あるドキュメンタリー作家が番組を制作することになる。彼は旧知の映画監督に声をかけ、番組のメイキングを依頼。番組はメイキングを本編にはさみ込むという異例なスタイルをとって進行する。

 ドキュメンタリーは嘘をつくことが、テーマであると分かっていて見てもなかなかおもしろい。インタビュアーとして登場する水木ゆうなは、むずかしい役どころをうまくこなしている。
 「番組企画書」で、映画について森達也は次のように記している。

こうして新しい娯楽として、映画は20世紀初頭には、時代の寵児となっていた。なぜなら映画には、文字は必要ない。つまりリテラシー(識字)が不要のジャンルなのだ。

 リテラシー(識字)が不要であるからこそ、メディア・リテラシーが必要なのである。「あとがきにかえて」で、森達也は、書いている。

「ドキュメンタリー(メディア)は嘘をつく気になれば容易くできる」ことは描いたけれど、本当は「嘘をつく気がなくても嘘をつく」ところまでも描かねばならない。

 私にとって、2010年は、報道がフェイクなのではないかという深い懐疑を抱かせられた年であった。ネットでは、報道を検証するという意味合いをもったアクションが少しずつ出てきているが、独立メディアが、大メディアの報道を論評するような企画が常設化すればよいと思う。