とある駅から、版画教室の看板が見え、行ってみようかと思ったことはあるが、不器用で肩凝らしの私にできるものだろうか、と思いつつ、今日にいたっている。版画の勉強するには、自分でやってみることも必要かなとは思うのだ。
ネットで見つけて、注文した本がとどいた。五所菊雄著『木版画の世界 第二版』である。実作者の書いた本がないかとさがしていたらたまたま見つかった。関心のある方は、五所氏のHPにおもむかれよ。http://www.ne.jp/asahi/gosho/baren/
ぱらぱら見るに、経験のない者には、わかりにくいところがあるが、全体的にはとても参考になる。「はじめに」には、次のようなことが記されている。
見かけた木版画の技法書はとりあえず入手することにしました。
しかし、明らかな誤りや狭い我流の記述に出会うことが多く、途中からは、間違い探しのために読むことも多くなりました。私にとって木版画の技法書で参考になった本は、五十冊近い中からは数冊に過ぎませんでした。
私が知りたかったのは、「サビ彫り」という技法のことである。
サビ彫りについての一般的な説明を、小野忠重の『近代日本の版画』(1971年12月、三彩社)によってあげておくと、
「軟質の鉛筆の線のかすれを表現する」
技法のことを指すという。
与謝野夫妻の詩歌文集『毒草』(明治37年5月)から、藤島武二原画、伊上凡骨彫版の《昼》をあげてみる。
若い女性の一日の暮らしを捉えた4作のうちの一つである。着物の表現のかすれは、サビ彫りといってよいのではないだろうか。コウモリ傘のホネのあたりもかすれている。
もともと黒白のコントラストが中心で、中間トーンの表現がむずかしい単色木版で、かすれた線は、重要な働きをする。
凡骨は超絶的な技巧の持ち主で、私が見たのは『明星画譜』(1905年12月)であるが、油彩画やパステル画や水彩画のタッチを木版画で表現しようと試みている。
《昼》では、パステル(チョーク)画のタッチを模していると思われる。パステルで描くと、紙の目が浮かび上がるような効果があるが、それが線のかすれによって表現されている。
版画史に疎い私には、サビ彫りの起原がどこにあるのかわからない。凡骨が、サビ彫りの意味を拡張したことは確かではないか。
さて、五所氏は、サビ彫りについて次のように記している。
硬い感じにも柔らかい感じにも、また筆のかすれのサビ彫りでも、全てを版木刀で切り回して彫ります。平刀、丸刀は版木刀で彫った周囲を彫り浚うのに専ら使われます。三角刀は、伝統の彫師は使いません。三角刀は創作版画の人々によって使われるようになりました。元は土産物の竹などに文字を彫りつける道具だったのです。
伝統にとらわれない新しい創作版画の彫りには、彫師でも三角刀や丸刀を使って自在に色々な彫りの感じを出しています。
伝統木版画の彫師は、基本的には版木刀であらゆる形を、柔らかくも硬くも、どのようにも彫ります。
創作版画での彫りは、駒透き(丸刀の小さなもの)でも三角刀でも平刀でも自由に使って、また釘でもケガキのようなものでも使い引っ掻いたりと、あらゆる方法があります。
たいへん興味深い指摘である。引用のすぐ後で、五所氏は、『明星』(1904年7月)に掲載された、創作版画の嚆矢とされる、山本鼎の《漁夫》の彫りを分析して、「小さな丸刀が自在に使われている」と指摘している。
「版木刀」とは、いちばん基本的な道具で、刃先は、カッターナイフのものを連想すればよい。凡骨は、もちろん、伝統的な彫師であるが、独特のかすれは、版木刀で彫り出したということになるのだろうか。
五所氏は、伝統的な彫師と、創作版画家では、道具の使い方が違うと指摘しているが、凡骨は、その区分けに従っていたのだろうか。あるいは、技法的な冒険をしたことはあるのだろうか。気になるところである。
