さて、昨日から五所菊雄氏の『木版画の世界』を読んでいるが、「伝統版画と創作版画」という章があって、恩地孝四郎について次のような指摘がある。
恩地さんは、ことごとく伝統木版では嫌われ失敗とされていた技法を積極的に取り込んで作品を作っています。
わざと失敗すれすれの技法をそれでも恩地さんは楽しむように、また伝統版画の鮮やかさの逆をいって、実験的ながら面白い作品を次々に生み出していきました。
恩地さんにとって、伝統版画は打ち壊さなくてはならないほどの存在で、また挑戦のしがいのあるものだったということでもあるのでしょう。
そういわれて、あらためて恩地の画集、図録を見直してみると、丸刀でさらったあとを、これみよがしに目立たせたものなど、なるほどと頷かされる。
『月映』の前身、回覧雑誌『密室』の6集(1913年12月2日発行)には、香山小鳥の木版画2点が掲載されている。いずれも無題であるが、一つは都市風景を、もう一つは、樹木を描いたものである。
都市風景を描いたものは、公刊『月映』Ⅵ(1914年6月)に「習作」として収められ、いま図録「日本の版画1911-1920 刻まれた「個」の饗宴」(1999年、千葉市美術館)で、見てみると、やはり、丸刀でさらった痕跡がある。香山は、伊上凡骨のところで木版を学んだといわれている。凡骨が、版木刀中心の伝統的な彫りを指導していたとすれば、香山は、それとは対極の技法を試してみたということになる。もしそうであれば、恩地の反伝統主義の技法のもとは、香山にあるといってもよいのだろうか。
このあたりは、もう少し、いろいろ文献をあたってみたい。
伝統版画と創作版画の並立と、欧州での木版画リバイバルの動向がどのような関係にあるかも、面白い検討課題であろう。
