これまで、版画を見る時、全体の絵柄を注目しても、彫りそのものの技法を考える余裕がなかった。五所氏の本を読んで、彫りのことを考えないと、版画をきちんととらえられないと思った。美術畑の人にとっては、自明のことで、いまごろ何をいってるんだ、と言われそうだが、気づいたことをメモしておこう。
丸刀を自在に使った凹線の表現のことを便宜的に「すいた線」と呼んでおく。このすいた線は、初期の創作版画を導いた重要な線描だと思われる。
浮世絵で、凹型の線が現れるのは、髪の生え際や着物の柄(絣模様など)が多い。
ウィリアム・ニコルソンの版画では、すいた線は、髪に光が当たった部分などに見られる。凸型の線での表現が基本で、凹型のすいた線は光を示すというルールが感じられる。
もう一度、山本鼎の《漁夫》の線描を見てみると、衣服にあたった光の表現であるとはいえないし、また、衣服の皺の表現だとも言い切れないような気がする。では何を表現しているのかというと、線自体の表現だといってみたい気がする。
すいた線は初心者的な未熟を示すのかというとそうもいえない。山本鼎は、木口木版の技法を身につけていた。小崎軍司『山本鼎評伝』(1979年11月、信濃路)には次のような指摘がある。
数え年十一歳の少年は、芝区浜松町一丁目十五番地にあった木版工房主、暁雲・桜井虎吉方に弟子入りした。(中略)
ここでみっちり木口木版の技術を仕込まれた。(中略)木口木版は西洋木版ともよばれ、柘の木口にビュランで白線彫りをする細かい技術で、銅板や鉛板を使った写真製版技術が発達普及するまでは、雑誌、新聞、書籍などに載せる挿画や肖像画には欠かせない新技術だった。
山本の木口木版の技量は、蒲原有明の詩集『春鳥集』(明治38年7月、本郷書店)の青木繁原画の口絵の彫刻を見ればよくわかる。
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さて、すいた線の表現は、伝統的木版の約束事からは逸脱し、線の装飾性そのものを示しているのではないだろうか。
