長沼智恵子が、「マグダに就て」という、ズーデルマン原作の『マグダ』の批評を、1912(明治45)年6月の「青鞜」に寄せている。
*『故郷』明治45年6月、金尾文淵堂、装幀中沢弘光
『マグダ』はヒロインの名をとった呼び方で、『故郷』とも呼ばれた。島村抱月が翻訳し、文芸協会の第3回公演として、5月3日から10日間、有楽座で上演された。
当時の智恵子の思想を知る上で、おもしろい文章である。
芝居も考るマグダより更に稀薄に深さも何もなくなる様なのがもの惜しい気が致して見まいと存じ居り候処一夜だけ参り申候。日本にて演ぜられたるものとしては上乗のものに候べく、おもしろく見せてもらひたるをありがたく思ひ候。少くも自己といふものに思ひ至りし程のものならば田子作のおかみさんも行き当り申すべき新旧思想の衝突に候。日本にも「ザラ」に有之べく今更マグダを見せられて、形を見て驚いた処で始まりも致すまじく、むしろ参事官のフオンケラーが犠牲を償へるには――など茶話申候。それは冗談なれどあの位の甘物などを稀がる故なる(引用者注-「なかる」か)べく候。あの辺ならばマグダも女らしく、可愛らしくて結構に存候。もしマグダが昔が、今ならばも少し突込んだ華々しい光焔も吐き、も少し自己に徹底いたしたるべくと存候、右御断りまで。
演劇はおもしろかったが、作品のテーマ自体は、「田子作のおかみさん」でも直面する新旧世代の思想対立で、ザラにあることだとしている。智恵子自身、高村光太郎との結婚を両親に反対されることになる。
*『故郷』口絵 中沢弘光
退役陸軍中佐シュワルツェの先妻の娘マグダは、親の勧めた結婚にさからって家を出て、今では、オペラ歌手として成功している。そのマグダが帰郷して、父と再会する。
*『故郷』 松井須磨子 有楽座上演時
マグダには、子どもがあるが、フォン・ケラーという参事官とかつてベルリンで交際があり、どうやら子どもの父である可能性が暗示される。
非婚の状態で子どもがいることは、伝統的価値観に属している父シュワルツェにとっては、大きな恥辱であり、マグダを赦すことはできない。マグダにとっては、子どもは自己に誠実に生きてきた証であり、非難をうけいれることはできない。
――けれどもそれでゐて私は、自分で作つて来た自分の生活も続けなくちやなりません!――それが私に対する私の義務です――自分と自分の――ではお達者で!――
フォン・ケラーが、マグダとの正式な結婚を申し出たため、事態は円満におさまるかに見える。だが、フォン・ケラーは、子どもを育てる気はなく里子に出せばいいという考えで、マグダは激怒する。シュワルツェは、急転する事態に発作を起こし、亡くなる。
智恵子が、「むしろ参事官のフオンケラーが犠牲を償へるには――など茶話申候」と書いているのは、このあたりの展開を指しているのだろう。
マグダは、「あヽ、帰つて来なければよかつた!」と最後にいう。
智恵子は、「もしマグダが昔が、今ならばも少し突込んだ華々しい光焔も吐き、も少し自己に徹底いたしたるべくと存候」と書いているが、智恵子にとっては物足りないと感じられた内容を当局は許さなかった。公演後、上演が禁止され、ジェイ・ルービン『風俗壊乱』も指摘しているように、島村抱月は、原作にない、マグダが後悔する場面を付け加えて、戯曲を刊行している。
(良心の呵責に苦しみ)みんなわたしの罪です、あなたのお指図に従ひます。
付加されたマグダの科白は、まるで、当局への抱月からの謝罪のように聞こえる。智恵子はこうした検閲の事情を知らなかっただろう。
*『故郷』大正3年8月、改訂縮冊十二版、装幀中沢弘光
マグダにはオペラというよりどころがある。強い「自己」意識を持った智恵子にも、絵画という支えが必要であった。男性にとっては選択である芸術は、智恵子にとっては、存在の根拠であった。
1914(大正3)年8月の歌舞伎座での芸術座による公演は、改変された脚本によったものと思われる。
*松井須磨子、大正3年8月、歌舞伎座上演時
*歌舞伎座上演時、マグダ(松井須磨子)とケラー(勝見庸太郎)
歌舞伎座上演時の写真は、縮冊版『故郷』による。コロタイプ。
