三島霜川『解剖室』より。
雪は霽ツて、灰色の空は雲切がして、冷な日光が薄ツすりと射す。北國の雪解の時分と來たら、全て眼に入るものに、恰で永年牢屋にぶち込まれた囚人が、急に放たれて自由の體となツたといふ趣が見える。で其處らの物象が、荒涼といふよりは、索寞として、索寞といふよりは、凄然として、其處に一種人を壓付けるやうな陰鬱な威力があツた。暗澹たる冬から脱却した自然は、例へば慘憺たる鬪に打勝ツた戰後の軍勢の其にも似てゐる。其處に何んの榮も無く、全てが破壞されて、そして放ツたらかされて、そして取ツ散かされて亂脈になツて、尚だ何んにも片付けられてゐない。見るから無慘な落寞たる物情である。早い話が、雪といふ水蒸氣の變換は、森羅萬象を全く眞ツ白に引ツ包むで了ツてこそ美觀もあるけれども、これが山脈や屋根に斑になツてゐたり、物の陰や家の背後に繃帶をしたやうに殘ツてゐては、何んだか醜い婦の白粉が剥げたやうな心地もする。要するに雪解の時分の北國の自然は都て繃帶されてゐるのだ。丁ど戰後の軍勢に負傷者や廢卒や戰死者があるやうに、雪解の自然にも其がある・・・・・・柵が倒れてゐたり垣が破れてゐたり、樹の枝が裂けてゐたり幹が折れて倒れてゐたり、または煙突が崩れてゐたり小屋や小さな物置が壓潰されてゐたり、そして木立や林が骸骨のやうになツて默々としてゐる影を見ては、つい戰場に於ける倒れた兵士の骸を聯想する。其の林や木立は、冬の暴風雨の夜、終夜唸り通し悲鳴を擧げ通して其の死滅の影となツたのだ・・・・・・雖然鬪は終ツた。永劫の力は、これから勢力を囘復するばかりだ。で蕭然たるうちに物皆萠ゆる生氣は地殼に鬱勃としてゐる。
