日本注釈学院

 断片から。

校庭の西の端のクスノキの下のベンチに、古典コースの山森源一郎が浮かない顔ですわっているので、声をかけてみた。
「元気がないな。」
「あ、先輩。まだまだ勉強が足りないと思って。」
「何かあったのか。」
「午前の日本古典の演習で『源氏物語』の「須磨」の巻から出題がありました。例の源氏が廊に立って、雁の歌を詠む場面です。」
「初雁は恋しき人のつらなれや旅の空飛ぶ声の悲しき、という歌だね。」
「ええ。問題は、「恋しき人」の意を問うもので、諸注は、都に残してきた女たちをいうとあります、と答えたのですが、不十分だという指摘を受けました。」
「はあ、それは、時枝誠記博士の『古典解釈のための日本文法』に指摘があるよ。確か、歌の前の部分は、「雁の連ねて鳴く声、楫の音にまがへるを、うちながめたまひて、御涙のこぼるるをかきはらひたまへる御手つき黒き御数珠に映えたまへるは、故郷の女恋しき人々の心みな慰みにけり。」というのだったね。」
「ええ。そこは、問題には引用されていませんでした。」
「与えられた語だけに注目しては、だめだというふくみがあるのだろう。時枝博士は、たとえば、「恋し」という形容詞は、情意を表す場合と、対象を示す場合があり、二つの理解が成り立つことに留意すべきだといっているよ。諸注は、歌の「恋しき人」を光源氏が恋しく思っているととっているが、文脈を無視した理解だと指摘している。」
「文脈とは、この場合どういう意味でしょうか。」
「歌の前の「故郷の女恋しき人々」という表現に注目してみたまえ。」
「ここは、都の女たちを恋しく思っている源氏や供のものたちという意味ですね。」
「そうそう。それで、歌の理解が定まるだろう。時枝博士の解釈では、歌は、「初雁は、都の女たちを恋うている我々流浪の者たちの仲間であらうか、我々と同じように旅の空を飛んでいる声の悲しいことよ」という意味だ。」
「ああ、文脈として、「故郷の女恋しき人々」と「恋しき人」はつながっているということですね。」
「そのとおり。時枝博士は、この理解を、主語と対象語というみずからの文法理論から導き出しているのだが、そればかりではない。旅の空を飛ぶ雁を都の女たちになぞらえるのは不適切だ、流浪してきた源氏の一行こそ雁の列にたとえるにふさわしいとも指摘しているよ。」
「ただ、知識を積み重ねるだけでは、だめなのですね。」
「注するは単なる語にあらず、つねに文脈の中にある語なり、ということだ」

                             『日本注釈学院青春記』より