ブログ《出版・読書メモランダム》の記事「古本夜話165 『新声』、『明星』、「文壇照魔鏡」事件」が、「文壇照魔鏡」事件をめぐる文献を整理してくれている。
画家一條成美が、『明星』から新声社に移り、佐藤橘香(新声社主、本名儀助)と田口掬汀に情報を提供して、二人が書き上げたものだという、小島吉雄が金子薫園から直に聞いたという真相が引用されている(小島吉雄『山房雑記』1977年、桜楓社)。
一條成美と「文壇照魔鏡」事件については、『画文共鳴―『みだれ髪』から『月に吠える』へ―』(2008年、岩波書店)で、書いたことがある。『明星』と『新声』の対抗は、単なるメディア市場での主導権争いだけではなく、新派和歌の覇権争いという要素もからんでいることを指摘した。
窪田空穂が一條と同郷で、一條の出自をめぐるいくつかの記述を残しているが、生涯の輪郭は、明瞭だとはいえない。
『読売新聞』明治43年8月14日3面に、「一條成美氏逝く」という死亡記事が出ている。
画家一條成美氏は五月以来病痾に悩みつゝありしが十二日夜府下淀橋町柏木の僑居に於て永眠せり氏は信州松本の人、初て雑誌「明星」に於て画才を認られ一時挿画界の寵児たりき一昨年来柏木に卜居して専心研鑽に怠なかりしが洵に惜む可し行年卅四葬儀は十四日午前八時施行
一條の描線はとても細い。彼のあとを継いで『明星』で活躍した藤島武二の線は、ヴァロットン風に太いので、対照的である。
下図は河井醉茗の『無弦弓』(明治34年、内外出版協会)の口絵である。
細い線のタッチは、Franz Von Bayrosのものに似ている。
