旧稿を再掲する。初出は『枯野』第12号(2002年3月)。
語注を拡張した文脈注の考え方を『それから』の具体例を通じて示したものである。
『それから』の「古版の浮世絵」について
木股知史
1 古版の浮世絵
近代文学における注釈の問題について、ささやかな例を取り上げて考えてみたい。夏目漱石『それから』の第四章に平岡三千代について次のような描写がある。夫とともに地方から東京にもどってきた三千代がはじめて、代助の家を訪問するくだりで、三千代が書生の門野に導かれて座敷に入ってきたときの描写である。
平岡の細君は、色の白い割に髪の黒い、細面に眉毛の判然映る女である。一寸見ると何処となく淋しい感じの起る所が、古版の浮世絵に似ている。
この「古版の浮世絵」という言い方が以前からひっかかっている。たとえば、一般読者向けの簡単な注がついている旺文社文庫版『それから』(一九六六・九)では、「むかしの古い浮世絵」となっている。「古版の」を「むかしの古い」と言い換えただけだが、語注としてはそれで用が足りるということだろうか。筆者の感じているわかりにくさは、「古版」という語そのものが単に古いという意味でよいのかどうかということと、この部分が、表現の他の部分とどのようにかかわるかが興味深い問題をはらんでいるということにかかわっている。後者については、三千代の容貌の描写にかかかわるが、「浮世絵」の女と形容されている三千代について、引用部分のすぐ後で、その印象的な瞳についての言及がある。
三千代は美しい線を重ねた鮮やかな二重瞼を持つてゐる。眼の恰好は細長い方であるが、瞳を据ゑて凝と物を見るときに、それが何かの具合で大変大きく見える。代助は是を黒眼の働きと判断してゐた。三千代が細君にならない前、代助はよく、三千代の斯う云ふ眼遣を見た。さうして今でも善く覚えてゐる。三千代の顔を頭の中に浮べやうとすると、顔の輪郭が、まだ出来上らないうちに、此黒い、濕んだ様に暈された眼が、ぽつと出て来る。
たしかに「眼の恰好は細長い方である」という特徴は、浮世絵の女にあてはまるが、「二重瞼」や「何かの具合で大変大きく見える」という「黒眼の働き」は、浮世絵の女性像に必ずしもあてはまらない特徴である。それらは、浮世絵とは対極の西洋の女性像の特徴だといえるのではないか。こうしたヒロインの外見描写について、微かな齟齬と感じられる要素を導入していることの意味は必ずしも明確になっていない。
「古版」という語の意味を確定することは、語注のレベルの問題だが、表現全体の中でその部分が持つ意味を探るということは、語のレベルを超えたところでの作業である。つまり、注釈は語注に限定されない、表現全体の構造の中での当該部分の意味を考えるという、文脈注・表現注の問題をはらむのではないだろうか。注釈といえば語注がすべてという考えはせまいもので、文脈注・表現注の可能性を探究するべきではないかというのが、筆者の考えである。引用部分の諸注を検討しながら、注釈の立体化・構造化の問題をさらに具体的に考えてみることにしよう。2 事実と表現
岩波書店新書版『漱石全集』第八巻(一九五六・七)の注は古川久の編であるが、「古版の浮世絵」について次のように記している。
明治四十二年月十四日の日記に「きのふ鰹節屋の御上さんが新らしい半襟と新らしい羽織を着ていた。派出に見えた。歌麿のかいた女はくすんだ色をしてゐるほうが感じが好い」とあるが、これにヒントを得たのである。
この注は、後続の注に一つの軌道を与えている。すぐ気がつくのは、作品と作者を直通させる発想が前提となっていることである。作者漱石が気に入っていたという近所の「鰹節屋の御上さん」が小説内の人物である三千代の造型にヒントを与えたのではないかというのである。こうした見方の先蹤は小宮豊隆にある。古川の注と同じ軌道にそって、荒正人は『漱石文学全集 第五巻』(一九八二・一二 集英社)の注で、日記の同じ部分を引用したあと、次のように記している。
この「御上さん」の存在は漱石の注意をひいたらしく、四月二日、三日の日記、十二日の鈴木三重吉宛書簡でもふれている。それらを引用して、小宮豊隆は『夏目漱石』で「この『鰹節屋』といふのは、榎町「漱石の住んでいた早稲田南町の近く)の、お釈迦様のならびの鰹節屋である。そこの神さんは、色が蒼白く、下膨れの長顔で、まつたく『歌麿のかいた女』らしい女であつた説明し、「『それから』の三千代が、心臓が悪くて、色が蒼白く、下膨れの長顔で、『歌麿のかいた女』らしい女として描き出されているのは、或はこの鰹節屋のお上さんの顔がモデルにされているのではないかと思ふ」と推定している。
小宮の考え方に問題があるとすれば、小説の表現は、必ず現実の体験に材源を求めるのかどうかということである。小説の表現と現実は、単純な一本の線で簡単につながれ、漱石のいう「鰹節屋の御上さん」が三千代の造型に影響を与えたという可能性が、何の疑いもなく語られている。虚構の「古版の浮世絵」の女が、漱石が好感をもっていた現実の「歌麿のかいた女」に直線的につなげられている。「浮世絵」と「歌麿」の連想がそうした関連づけの背後には働いているだろう。事実にこだわれば、小説内の表現である「古版の浮世絵」を一義的に歌麿に関連づけることは妥当かという疑問がある。また、「細面」の三千代は、「下膨れの長顔」なのだろうか。
そうした疑問はおいても、事実を虚構表現の典拠とする発想は、注釈の根拠にならないのではないだろうか。筆者はモデルの存在の可能性そのものを否定しようとは思わない。ただ、小説の表現は、表現としての秩序と自律性をそなえており、そのことを考慮すれば、現実からの返照は、重要な参照事項ではあっても、注釈を決定する中心的な事項だとはいえない。事実は、虚構の構成要件の参照事項にとどまる。あくまで「古版の浮世絵」という表現は、『それから』という小説の中で使用されており、長井代助という登場人物が平岡三千代という登場人物を見たときの「淋しい感じ」という印象を説明するために持ち出されているのである。
注釈は、対象とする表現内の語を、その表現が成立した時代における意味によって読みとることにとどまるのだろうか。本居宣長は、語の意味はその語が使われた時代において測定されるべきだと考えているが、これは語注の基本的な態度といえるだろう。語の意味をその表現が成立した時代に常にかえしながら読む宣長的な還元主義は、昨今の近代文学の注釈においても踏襲されているが、筆者はそれだけでは、注釈の立体化は不可能だと考えている。表現が成立した時代への還元だけでは、表現の内部でのその語の意味を確定することはできないからだ。「古版の浮世絵」という表現についてなら、「古版」や「浮世絵」という語の意味や暗示的含意を、表現成立時代の水準で確定することとともに、表現内部で、その語が用いられた表現的な意味についても考察する必要がある。前者が還元的注釈なら、後者は表現的注釈というべきかもしれない。注釈は盛んに行われているが、表現的注釈の方向性はそれほど深まっていないように思われる。3 語注
ここでは、「古版の浮世絵」の語のレベルでの注釈について確認しておきたい。岩波書店版『漱石全集 第六巻』(一九九四・六)の注は、中山和子が担当しているが、次のように記している。
「浮世絵」は江戸期に発達した風俗画の一様式。肉筆と木版画があり、菱川師宣以降の版画は特に隆盛をきわめた。美女、役者、風景、花鳥など、図柄は多彩。江戸後期の喜多川歌麿がとくに優艶な美人版画で一世を風靡した。「古版」は古くなって色がくすんだ感じをいう。明治四十二年三月十四日の「日記」に「歌麿のかいた女はくすんだ色をして居る方が感じが好い」とある。
「浮世絵」については、一般的な概説をおこない、「古版」については、漱石の日記の「鰹節屋の御上さん」についての記述の「くすんだ色」と関連させて、「古くなって色がくすんだ感じをいう」としている。典拠の論理性があいまいで、とても恣意的な注の付け方のように思われる。第一、「古版」が「古くなって色がくすんだ感じをいう」とすれば、それにたとえられた三千代が、「色の白い割に髪の黒い」と描かれていることに矛盾するのではないか。「古版」が古いということを含意するのはまちがいないが、どの基準からその古さが計られるのかが問題だと思う。
『日本国語大辞典』は「古版」に次のような意味をあてている。この項目に関しては第二版も同じ記述である。【古版・古板】[名]古い版木。旧版。また、昔、出版された書籍。古版本。
おもしろいことに、使用例として、ここで問題にしている『それから』の当該部分が引かれている。『それから』の例文については、「古い版木」「旧版」という意味があてられるのだろうか。「昔、出版された書籍」や「古版本」という意味はあたらないように思われる。「古い版木の浮世絵」ということになるのだろうか。わかったようでまだ曖昧な気もするので、浮世絵に関する専門的な述語として「古版」という語を調べてみよう。浮世絵に関する専門事典である、吉田暎二の『浮世絵事典』(一九七一・三 画文堂)の「古版」の項は、「「古版本」の項参照」と記したあとで、次のように解説している。
なお本ではなく、慶長以前の木版は古版と呼ばれ、その最古のものは百万塔中の陀羅尼の経文とされている。また江戸時代の版画でも、新版物に対し、古く出版されたものを古版ともいった。
この記述によって、ようやく語義の中心に近づけるような気がする。「古版」という言い方は「古版本」という呼称からの派生である可能性が示唆されている。ちなみに、「古版本」の項の解説は、「江戸時代以前の版本活字本などを総称していう」とあって、「春日版、高野版、五山版、慶長版、慶長勅版及び同私版、活字版、嵯峨版、高麗版」などをさし、中国のものでは、「明より以前の宋版、元版、明版」などもそういったと指摘している。そして、「新版に対して、すでに刊行されたものを古版本という場合もある」としている。「古版本」という言い方は、特定の対象について使われたが、一般的に「古版」という言い方は、書籍でも版画でも、新版に対して古く出版されたものをさすというのが、吉田暎二の考えである。
吉田の解説にそって「古版の浮世絵」という表現について考えるならば、新版に対してそれより古い時代に刷られた浮世絵ということになる。次に問題となるのは、その新版の基準がどこにあるかということである。浮世絵の歴史の中でより古い時代ということか、明治期にも浮世絵は版行されているので、明治期ではなくそれ以前の、すなわち江戸期の浮世絵ということか、どちらかになるだろう。筆者は、後者のようにとれば落ちつくと考えている。「古版の浮世絵」という表現が、明治期にも浮世絵は行われたが、それ以前の古い江戸期の浮世絵をさすとするなら、三千代の「淋しい感じ」がそれにたとえられていることは、三千代が代助によって、明治に生きていながら、江戸期の浮世絵にたとえられるという表現的な意図をも浮かび上がらせることになる。このことの詳細については、語注のレベルをこえるのであとでふれることとする。
前者のように、浮世絵の歴史の中でより古いととりうる可能性についても見渡しておこう。まず、事実の次元の歌麿にたとえられた「鰹節屋の御上さん」の連想から、「古版の浮世絵」と歌麿を結びつけるのは、あまり根拠がない。三千代の「淋しい感じ」と歌麿の美人は結びつきにくいように思えるがどうだろう。くすんだ感じの歌麿の女は、「淋しい感じ」がしたのだろうか。よくわからない。確たる根拠はないので参照事項程度のことにすぎないが、三千代の印象は、江戸後期の歌麿よりも、江戸中期の鈴木春信が描く女人に近いように、筆者は感じている。
ともあれ、語注のレベルでは、「古版の浮世絵」は明治の当代から見て古い江戸期の浮世絵ということではないのか。筆者がこの理解を選択するのは、そうとれば、「古版の浮世絵」という言い方の中に明治と江戸の対比がふくまれていると考えることができるからである。4 文脈注、表現注
語のレベルから、文脈のほうに注釈の対象領域を広げてみよう。先にふれたように、「古版の浮世絵」という表現によって、三千代の「淋しい感じ」を示していることと、そのすぐあとの瞳の描写との関連性が、文脈のレベルでは言及されなくてはならないと思う。「二重瞼」や、「凝と物を見るとき」に、「何かの具合で大変大きく見える」瞳という三千代の目に関する描写と「古版の浮世絵」という表現はどのような関係にあるのだろうか。「二重瞼」や、時に大きく見える瞳は、「浮世絵」の女の特性にあてはまらないように思える。それを齟齬や矛盾と言っていいかどうかは議論のあるところだろう。また、「浮世絵」の女の表示する伝統性に対して、「二重瞼」や大きく見える瞳は、西洋的な近代性の表示だと言い切ってしまうことも議論のあるところだろう。瞳は意志の表示のしるしだとすれば、時に大きく見える瞳は、三千代の意志の存在の暗示ととることは可能だろうか。ともあれ、ここでは、三千代の容貌に対して、代助の視線は、方向性の異なる二重の価値づけとして働いているという可能性について指摘しておかなくてはならないだろう。
『それから』の全体のなかで、三千代の容貌についての描写はほんとうに限られている。二重瞼や瞳のほかに、もう一つ三千代の目の特徴として表現されていることがある。それは、「長い睫毛」の存在である。それは、十四章の、代助がいよいよ「僕の存在には貴方が必要だ」と心の内を三千代に告げようとするその直前に現れる。代助は黙つて三千代の様子を窺つた。三千代は始めから、眼を伏せていた。代助にはその長い睫毛の顫える様が能く見えた。
浮世絵に描かれている女性に、睫毛の描写は見られない。「長い睫毛」も浮世絵の女にはそぐわない要素である。少し脇道にそれることになるが、「長い睫毛」の描写は、西欧の文学から暗示を得たものではないかと思われる。森田草平の『煤煙』とともに、『それから』に密接にかかわるダヌンツィオの『死の勝利』(岩波文庫版上巻 野上素一訳 一九六一・八)には、次のようなヒロイン、イッポリタの睫毛の描写がある。
彼女はたいそう長い睫毛の間から、眼を半分とじて彼をながめた。
『彼女の睫毛は最初から僕の気に入ったものだった。ジョルジョは黙想した。『彼女は礼拝堂の中央に、高いよりかかりのある椅子に腰かけていた。彼女の横顔は、窓からさす雨空の明るさのために、くっきり浮かび上っていた。外の雲に切れまができたとき、あたりはとつぜん明るくなり彼女はすこし体を動かした。そして彼女のたいそうな長い睫毛が目にうつった。それは驚嘆すべき長さであった。』ジョルジョがイッポリタに惹かれる様子が「長い睫毛」という容貌の細部に集中して描かれている。代助もまた三千代の「長い睫毛」に惹かれているととってもいいのではないか。「長い睫毛」は、容貌の取り上げ方としては西洋的な要素だといってもよいのではないだろうか。 三千代の容貌描写については、表現全体の中で関連的に言及されるべきだと思う。他の小説との関連性も、表現的注釈の対象にふくまれる。『日本近代文学大系26 夏目漱石集』(一九七二・二 角川書店)の注釈で重松泰雄は、次のように指摘している。
「淋しい感じ」は三千代のたいせつな印象の一つとして篇中にしばしば現われる。漱石のある種のヒロインに特徴的なものである。
重松は、『三四郎』の野々宮よし子についての「遠い心持ちの眼がある」という描写につけた注で、「美禰子とはっきり対照的な女性の姿が感じ取られる」と述べている。また、よし子の眼の描写については、「大きな潤のある眼」「大きな常に濡れてゐる、黒い眸」という表現を関連してあげ、補注では、『それから』の三千代、『門』の御米、『行人』のお直も同じだとし、『行人』の三沢が愛していた精神病の娘の描写を引例している。こうした関連づけは、一つの小説をこえた、他の小説との表現的呼応の指摘であり、注釈を拡充する試みだといえるだろう。ただ、重松は、そうした複数の表現を横断して現れる登場人物の特性について、「漱石の意中の女性のイメージが反映している公算が大きいように思われる」と述べ、作者の事実に関連づけている。それぞれの表現の関連性に留意している点で、重松の注釈はすぐれているが、複数の表現にわたる共通性を結局作家性に還元してしまっている。作家の事実に関連づけるよりも、表現の内部でのそうした特性の意味を考えることのほうが、表現的な注釈にとっては、重要である。
谷崎潤一郎は「恋愛及び色情」(一九三一)で、美禰子や藤尾は、「柔和で奥床しいことを理想とした旧日本の女性の子孫でなく、何んとなく西洋の小説の人物のような気がするが、あの当時そう云う女が実際にいた訳ではないとしても、社会は早晩いわゆる「自覚ある女」の出現を望み、かつ夢みていた」と述べ、時代の意志を一歩先んじて反映した結果、現実には存在しない美禰子や藤尾という女主人公が生み出されたと考えている。重松泰雄は、よし子は美禰子と対照的だとしたが、谷崎の指摘する藤尾や美禰子の陰画として意志を内向させている女性登場人物の系譜を想定することができるように思う。明治に生きながら、明治という時代に自己をアイデンティファイすることができないことの暗示をその系列の女性登場人物に読みとることはできないだろうか。三千代の「淋しい感じ」は、「古版の浮世絵」のように、明治という当代からは脱落して過去に属しているというずれから生じるのではないか。三千代の「黒い、濕んだ様に暈された眼」は、比喩的なふくみを想定すれば、瞳に暗示される意志がにじみ揺れているというように読みとれる。瞳に見られる西洋的要素と、「浮世絵」にたとえられる伝統的要素の二重性が、三千代の造形に考慮されているように思われる。
散文の表現から暗示的な含意を読みとる時の、根拠について一言しておこう。筆者は、先ほど、瞳が意志を暗示し、それが「暈かされる」という表現に、意志の内向と揺れの暗示を読みとった。「浮世絵」という比喩によって示された、明治と江戸の時間的対比の文脈から、三千代の意志のにじみ、ゆれが浮かび上がる。また、指示的な散文も、暗示的意味を喚起する場合がある。そのさいは、ある程度、物語の継時的連続から離れた読みが可能となると考えている。散文の表現にふくまれる暗示的な意味は、物語の進行という限定をある程度離脱して読者に理解される可能性がある。
『それから』とほぼ同時代の表現で、「浮世絵」にたとえられた女の例にふれておこう。永井荷風の『妾宅』(一九一二・二「朱欒」)は、「現代生活の仮面を成るべく巧に被り畢せるためには、人知れずそれをぬぎ捨てべき楽屋を必要と」した「現代文士」の「珍々先生」の「心の安息所」としての「妾宅」での振る舞い、暮らしぶりを描いている。先生は、お妾の夕化粧を眺めながら、「新時代の女性の生活が芸術的幻想を誘起し得るまでには、まだ\/多くの年月を経た後でなければならぬ」という感慨をいだく。男の気をそらさず、言葉を発しながら、手際よく髪を結うお妾に感嘆しながら、「珍々先生は芸者上りのお妾の夕化粧をば、つまり生きて物云ふ浮世絵と見て楽しんでゐる」とされる。荷風の『妾宅』では、明治の当代は否定され、「生きて物云ふ浮世絵」と見立てられたお妾は、江戸の風情を今に生きて体現しているととらえられている。『妾宅』では、明治という当代を否定し、今に生きる江戸としてお妾をとらえるために「浮世絵」という言葉が使われている。それに対して、『それから』では、明治の当代には古くなったものとして、「浮世絵」の比喩が使われている。
さて、「古版の浮世絵」という表現は、登場人物代助が三千代を見たときの感懐として現れる。つまり、代助という登場人物の視向性の中にこの表現は現れている。小説中のある登場人物の感懐は、作者のイデーと単純に一致するわけではない。むしろ、登場人物の相互的な関係性のあり方にこそ、思想性を見出すべきである。三千代を「古版の浮世絵」に見立てた代助は、三千代を絵の中の女として封じ込めたいという無意識の願望をいだいている可能性がある。絶交を宣告する平岡は、代助に三千代との面会を許さないが、代助の願望は、皮肉な実現の仕方をしてしまったともいえる。そう理解すると、絵の中の女として封じ込めてしまうという代助の願望が復讐されるという物語の構図が浮かび上がってくる。千種キムラ・スティーブンは『『三四郎』の世界 漱石を読む』(一九九五・六 翰林書房)で、美禰子が三四郎の視線から〈絵に描いた女〉として繰り返し表現されていることに注目し、それが、「三四郎の己惚れと性的欲求から生まれた錯覚にすぎない」ことを示していると指摘している。三四郎が〈絵に描いた女〉に虚像を見ているなら、代助は「古版の浮世絵」の女に、自分の美意識にそって実現された、現実の三千代とは一致しない欲望の対象を見出しているのかもしれない。『三四郎』で三四郎の美禰子に対する視向性は滑稽化されたが、『それから』では、代助の願望は復讐される。絵の中の女は、代助の無意識下のネクロフィリア的願望の具体化である。平岡との最後の面会の際に、「僕は是から先、君と交渉があれば、三千代を引き渡す時だけだと思つてゐるんだから」という平岡の言葉に、代助は「あつ。解つた。三千代さんの死骸丈を僕に見せる積なんだ」と応じている。「古版の浮世絵」の女は、「死骸」のイメージとして代助の脳裏に現れるのである。ここが、「古版の浮世絵」という表現からたどれる表現的注釈の最遠地点であろう。
語注が、表現の外部と参照性をもつ、表現成立時の語の意味の再現であるならば、文脈注や表現注は、表現内部と参照性がある暗示的、喚起的意味の発掘である。文脈上の関連部分との対照から暗示される意味、同一作家の関連する表現との対照から暗示される意味、他の作家の表現との対照から暗示される意味、表現の全体との関連から導き出される意味、登場人物の視向性から推測される意味などが、文脈注、表現注の中身である。これらのことは古典の注釈でも自覚されている。野口武彦は、『『源氏物語』を江戸から読む』(一九八五・七 講談社)で、萩原広道『源氏物語評釈』にふれて、「その書名が告げているように、従来の注釈文をはっきり「釈」と「評」とに区分し、「釈」では主として語句の注釈を記し、「評」では文字どおり作品の分析的批評を試みるという斬新な言語作業だった」と評している。野口は、「各巻で語られる出来事の数々が、いかに総体としての物語を織り上げる高次の言語単位になっているか」を萩原広道の「評」は問題にしていると指摘している。広道の「評」は、批評の試みといってもいいが、文脈や表現全体との関連性の中で語の意味を考えるという点で、語注を拡張した文脈注、表現注の実践でもあるように思われる。還元主義的な語注と、表現内部の表現的意味を問う表現的注釈は、二層化されてこそ、生きた注釈が可能になるのである。
