『武蔵野文学』59集(2011年12月、武蔵野書院)が「漱石ノ気骨」という特集を組んでいて、「博士号辞退に関する文献」では東北大学付属図書館漱石文庫蔵の手紙、原稿がカラー版で紹介されている。
なかに、文部省の明治44年4月19日付、漱石宛通知というのがあって、封筒の裏は大きな文字で文部省と書いてある。通知文を書いているのは、当時の専門学務局長福原鐐二郎で、次のような一節が見出される。
辞令書ヲ受領セラルルト否トニ拘ラス発令後ノ今日ニ於テ貴下ハ已ニ文学博士ノ学位ヲ有セラルルモノト認ムルノ外無之候
よく知られているように、漱石は学位を辞退したが、役所の見解は、漱石は文学博士であるというものであった。
この件については、ジェイ・ルービン『風俗壊乱 明治国家と文芸の検閲』(2011年4月、世織書房)の第12章にも指摘がある。ルービン氏が参照しているのは、藤原喜代蔵の『明治大正昭和教育思想学説人物史』という本で、学位授与者の名簿があり漱石の名が記されている。
平岡敏夫氏は、上記特集号に寄稿した「漱石の気骨―博士問題・佐幕派気質―」で、薩長の明治政府に抵抗する佐幕派気質が背景にあるのではないかと指摘している。
漱石は、雑誌『太陽』の名家投票の金盃も返却している(ルービン氏著276頁)。
