漢文力その他

 昨日は、午後8時過ぎに帰宅して、NHK教育の「日本人は何を考えて来たか―非戦と平等を求めて 幸徳秋水と堺利彦」をしっかり見た。

 クリスティーヌ・レヴィさん、85点、番組全体は70点。

 まず、幸徳秋水の「兵士を送る」という文章のつぎのところ。

諸君今や人を殺さんが為めに行く、否ざれば即ち人に殺されんが為めに行く

 「否ざれば」という部分を番組中の朗読でも、アナウンサーも「いなざれば」と読んでいた。レヴィさんだけが「しからざれば」と正しく読んでいた。これは、制作陣全体が漢文力が低下していて気づかないということを示している。わたしのようなぼんくらでもおかしいと思うところをどうして見過ごすのだろう。しかも、レヴィさんはちゃんと読んでいるではないか。

 秋水の『廿世紀之怪物帝国主義』をレヴィさんは仏訳したという。番組終了後、書架から岩波文庫版を取り出してみると、第二章が「愛国心を論ず」で、第三章が「軍国主義を論ず」になっている。非戦の背景にはナショナルな心情はどのようにかかわったのか、そのあたりを、フランスの当時の政情とからめて、レヴィさんからもっと聞くべきであったと思われる。
 レヴィさんは、大逆事件のところで、フランスでは、日本政府を批判する論があったとともに、右派が処刑を支持した記事を書いていると言っていた。そういうところをもっとほりさげてほしかった。
 軍国主義という言葉は、注釈の対象としても重要だと思う。

 山泉進氏は、社会主義を、個人の主義に対して、公共性つまり社会を重視したというふうに説明していた。そういう言い方をすると、アナキズムの個人の問題はまったく欠落してしまう。新自由主義の公共性の論理に対抗できるのかと思った。

 これに対して、レヴィさんが堺利彦の思想に関して、日常的な個人のレベルでの平等を重視していたと言っていて、深く共感した。

 山泉氏が冬の時代の状況認識として、啄木の「時代閉塞の現状」を持ちだしたが、違和感をもった。これは議論のあるところだろうが、敵を見出したいというナショナルな心情が「時代閉塞の現状」には、あるとわたしは考えている。権力を閉塞と見なしているのではないのだ。

 まあ、一つのトーンにまとまらず、係争する声が聞こえてきたというのは、よい番組だったのかもしれない。