ジャンル「カフェー」の成立と普及(2)

 斎藤光氏の「ジャンル「カフェー」の成立と普及(2)」(2012年3月15日、『京都精華大学紀要』第40号)が出た。

 文献にあたっても無意識の単純化がおこることがあって、斎藤氏はそのことに自覚的。〈仮説〉〈着想〉に傾きがちな小生には、反省の気持が起きるような。

 それから、後世に確立した概念では割り切れないにじみの領域に注目している点がおもしろい。文献を渉猟して、どんな推論が成り立つかきちんと記しているところもよい。

 画家秦テルヲと推測される「てるを」名義の「大阪の一友へ」という『京都日出新聞』の記事(1911年11月7日)が紹介されている。寺町と吉田のカフェーが紹介されているのだが、斎藤氏のまとめを引いてみる。

第二に、この二軒は、ほぼ対照的な性質をもつと捉えられていた。「寺町」の「カツフエー」は「デカダンな空気とは没交渉」で、「大学の倫理教授が奥様や小供を連れてハイカラ風を吹かすのに都合よき位いのもの」であり、、「有難涙の出る様な油絵が二枚」もある所だ。これに対し「吉田のカツフエー」は酒が充実し「ウヰスキー」「ブランデー」「日本酒」がある。それだけ「面白みも有」る。ややデカダン的と考えたのかもしれない。性質・性格の異なる「カツフエー」が京都に1911年時点であった可能性があり、また、カフェージャンルにおける可能性が示されていた、と解釈もできる。

 ここを読んでいて、麩屋町の紙屋の娘として生まれた大正11年生まれのゆかりの者が、自分の母の話として、「かふえ」のことを語っていたことを思い出した。「カフェ」ではなく、「カフエ」と一音一音明確に発音していた。たしかカギヤのことも語っていた。小生は、三月書房さんのならびにあるかぎやのことを言っているのだと思っていたが、どうやら「カギヤカフエー」のことだったのかもしれないと思い直した。ゆかりの者の好物の一つがアイスクリームであるが、カフエで食べたのが印象的だったのかもしれない。「アイスクリン」という言い方をしていたが。

 絵画が飾られているカフェーというのも気になる。

 注には、フリッツ・ルンプらしき人物に関する記事(1910年12月4日、『京都日出新聞』、「断片」(J生))も出ている。ルンプについては、盛厚三氏が伝記を準備中である。(→ブログ《「北方人」日記》

 注85に、石丸志織編「龍土会関連年譜考」(2010年、『Sym.』3号)について言及がある。