日本注釈学院青春記 共同幻想の巻(その6)

 これは小説です。

 共同幻想の巻(その1)
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 共同幻想の巻(その3)
 共同幻想の巻(その4)
 共同幻想の巻(その5)
 

      日本注釈学院青春記 共同幻想の巻(その6)

 「てんぐたおし! やなぎたくにお!」
 丹羽とわたしは思わず声をそろえてそうつぶやくとたがいに顔を見あわせた。
 たしかに、さっきフォイエルバッハの『キリスト教の本質』に、奇跡が共同の幻想であるという記述を見出したときに、わたしの心をよぎったのは柳田国男のことであった。
 瀧島里は、スーツ型の紺の制服につつまれた腕をまるでティンカーベルのように、すっと床のほうにさしだすと、わたしたちにも見えるように、ホログラフ・ボードを起動させたのであった。
 『遠野物語』が、単なる引用文献という範囲を超えて、『共同幻想論』で重要な位置を占めていることは周知の事柄である。一つのボードには、柳田が鈴木棠三の協力を得て編んだ『遠野物語拾遺』の一節が映し出されている。
 「一六四 深山で小屋掛けをして泊まっていると小屋のすぐ傍の森の中などで、大木が切り倒されるような物音の聞こえる場合がある。これをこの地方の人たちは、十人が十人まで聞いて知っている。初めは斧の音がかきん、かきんと聞こえ、いいくらいの時分になると、わり、わり、わりと木が倒れる音がして、その端風が人のいる処にふわりと感ぜられるという。これを天狗ナメシともいって、翌日行って見ても、倒された木などは一本も見当たらない。」
 「山中でであう怪異な音ということになるでしょうけれど、それは伝承世界の内部の論理であって、共同の幻覚という視点を置けば、ある心的状態が共有されていれば、幻覚や幻聴がリアルなものとして認識されるという見方が可能なわけよ。」
 こちらを向いて瀧島は、
 「君たちもすでに調べている思うけれど」と言葉を継いだ。
 わたしは、さっき一度だけ「あなたたち」とよんでくれたのに、「君たち」に逆戻りかと思った。しかし、わたしたちの話題に、瀧島里が入ってきてくれたのには、大きな満足を感じていたのだ。
 「これは、柳田の「夢と文芸」というエッセイよ。こんなふうに、共同の幻覚や共同幻覚ということばはけっこう使われているわ。」と、もう一つのボード面をゆびさして、瀧島はわたしたちに語りかけた。
 丹羽修迅は、知的好奇心を自分よりすぐれた存在に受けとめてもらったうれしさからか、頬を少し紅潮させていた。「夢と文芸」の一節は、つぎのように読めた。
 「夢の神秘の最も究めがたい部分は、一家一門の同じ悩みを抱いた人々が、時と処を異にして同じ夢を見、それを語り合っていよいよその信仰を固めるという場合である。これは近世に入って一段と稀有の例になり、わずかに文筆の間にややおぼつかない記録を留むるのみであるが、現実にはかえってこれに似た遭遇が多い。自分は夙くからこれを共同幻覚と呼んでいる。」
 「瀧島さん、われわれは、システムに内属していることによって半醒の夢を強いられ、その共同幻覚としての夢を反芻することによって、ますますシステムへの従属を深めていく、ということを言いたいのですか?」と、丹羽は瀧島に向かって言った。
 少しの間があって、瀧島はほほえんでいた。すずしげな目はますますとぎすまされていくようだが、笑みを浮かべた唇の両脇には、彼女の顔の輪郭をいっそう明瞭にする魅惑的なへこみが生じていた。
 「近代思想コースの秀才は、その名前のようにせっかちに学ぼうとするのね。でも、いっきょに話題の核心に近づいたわ。『遠野物語』は、伝承世界の共同幻覚の書であり、『共同幻想論』は、個人の心的世界の共同幻想の書なのよ。」
 瀧島の言ったことばは、わたしの心にさまざまな角度で反響を残しながら通りすぎていった。瀧島の言わんとすることはよくわからなかったが、議論は、『共同幻想論』の最も重要な章、「禁制論」に向かうのだということだけは直観的に理解した。(木股知史)