ルービン先生の夫人が見つけられたのを、ルービン先生から教えていただいたのだが、「万華鏡」という掲示板で,、夫人と同窓の友人が「6月の本」として『風俗壊乱』を推薦している。投稿者名は、「月刊読書人」で、投稿時日は、2012年6月30日である。一部を抄出して紹介する。
というわけで、6月の本として推奨したいのは、ジェイ・ルービンさんの著作である『風俗壊乱』という本である。書店で購入したのではなく、先月のMB会の時に、おーちゃん宅から借りてきて一ヶ月以上かかって読み上げたもの。びっしりと500ページはある大作である。
『風俗壊乱―明治国家と文芸の検閲―』
ジェイ・ルービン著(世織書房)
このぶ厚い本書の内容をひとまとめにして言えば、大逆事件前後を軸に、江戸期から戦中までを射程として、内務省検閲・情報局検閲の機能と実態、文学者と新聞・雑誌メディアの検閲への対応を検証した著書である。
更にその特徴を言えば、検閲と文学をめぐる問題を、単に抑圧と反抗という図式に単純化するのではなく、作家の内面の自己検閲という問題をあぶりだしたことだろう。
私達がよく知っている夏目漱石、石川啄木、田山花袋、森鴎外、谷崎潤一郎、徳富蘆花、荒畑寒村、などを登場させ、個々の作家たちが、時の権力側の思惑にどう対応したかを追跡する。中には成島柳北、内田魯庵、小栗風葉などさほど馴染みのない作家も登場させ、著者がいかに日本文学への造詣が深いかもわかる。
日本の検閲制度は、事前検査よりも印刷後の出版物の販売禁止を重視した。書物として完成した段階で販売禁止となればその財政的な威喝効果は抜群である。この特徴が発行者の間に自己検閲の考え方を醸成し、彼らは印刷に取り掛かる前に検閲官との間に非公式の相談が行えるよう要請した。また出版社側は検閲に触れるような場合には種々の言い訳や理屈を用意したのだろう。
例えば、本書はカバーに明治初期の「毒婦もの」を代表する「夜嵐お絹」が半裸の姿で縛り上げられ柱に括り付けられた場面の扇情的な挿絵を使っている(下の写真)。ただちに風俗壊乱で取り締まられそうであるが、あにはからんやこの物語を「勧善懲悪」の枠内に収めたこの事例はなんら咎めなく済んでいたそうだ。「勧善懲悪」枠は検閲官の眼を欺くための仕掛けの意味を合わせ持っていたのだ。
とにかく一介の読者にすぎない私が言うのは生意気に聞こえそうだが、何よりこの本を読みながら魅了されたのは、ジェイ・ルービンその人の日本近代文学に対する読みの深さと的確さである。有名な文学者達はもちろんのこと、私たち日本人がもうほとんど手にすることもなくなっている作家でさえ、一人一人の細かな点についても、作者の生い立ちなどからも立体的に論じている。その記述によって、近代日本の文学が固定された評価を脱ぎ捨て、作品あるいは作家の一人一人が新しい価値を持って立ち現れてくるおもしろさは格別であった。
特に私が若いときから関心の強かった「荒畑寒村」についての記述は、社会主義者としてしか見ていなかった私の「作家としての寒村像」を新たに想い起こさせてくれた。
この方は、ルービン夫人と同窓であり、ルービン先生と面識があるということはあるが、読ませるところがあるから読了して推薦してくれているのであろう。近代日本文学に関心がある人にはけっこうおもしろく読める本なのである。
いつか、そう高くない価格で、普及版を出したいなあ、と思った。
