伏字を逆手にとる

 《神保町系オタオタ日記》さんが、《雀隠れ日記》さんの「伏字の取締り?」という記事を再紹介している。

 村田裕和氏の「首のない体/字面のない活字―印刷術総合運動『死刑宣告』の身体性―」(2011年1月。「立命館言語文化研究」22巻3号)という論考を思い出す。

 次のような一節がある。

 削除痕としての死者の体(遺体body )が,暴力の行使を銘記しつづける一方,記号活字(伏せ字)が,みずからを「新らしい文化」の徴だと主張してしまう。その場所にありながら,声に出して読むことができない伏せ字は,職工たちの疎外された労働そのもののように,ただそこに痕跡だけを残している。だからこそ,偶然にその伏せ字が,うわごとのように言葉にならない声を立てた瞬間に,権力と活字をめぐる困難な状況が,集中的に噴出することになる。しかしそれは,すでに『種蒔く人』を覆い尽くしていたのかもしれない。

 さまざまな事例が紹介されている。