さて、先日紹介した亀井秀雄のブログ《この世の眺め》の「『共同幻想論』自序への疑問」という記事には、次のような興味深い記述が見られる。
吉本隆明がいう「共同幻想」とは、ある閉鎖的な空間に住む人たちが心的に共軛された形の共同体を作っている、その共軛(共役/きょうやく/yoke together)のことだ。私はそう読み取ってきた。
この「共軛」という語に注目したい。
『日本国語大辞典 第2版』でひくと、次のような数学上の語としての意味しか記述がない。
きょう-やく【共役・共軛】〔名〕①二つの点、線、図形、数などが、ある種の、対称的ないしは相補的な関係にあることの称。(引用者付記-用例省略)②二つの複素数がそれぞれa+bi,a-biなる形に書かれるという関係にあることの称。
これ以外に、語釈は見あたらない。わたしの頭の中には、「共扼」という語もあって、実力が拮抗したもの同士がお互い襟首をとりあって、身動きできないような状態をいうのだと考えていた。しかし、この語もみあたらない。
亀井は、英語でyoke togetherという慣用句を引いている。yokeは名詞では「くびき」のことだ。辞書を引いてみると次のようにある。
yoke[名]1 くびき:1対の牛などを首の所で連結するための横木
動詞としての意味は次のようにある。
〈牛・馬に〉くびきをかける;〈2匹の牛・馬を〉くびきでつなぐ((together)).
『プログレッシブ英和中辞典』
yoke togetherというのは、二頭の牛が、つながった二つの輪のあるくびきをかけられて、単独では動けない状態にあることをいう。
システムにとらわれて、個人が身動きできない状態にあり、システムと個人の関係は「共軛」的で、相互性をもっている。共同幻想は、個人の心的世界を「共軛」的な関係におくことをいうのである。
この「共軛」という言葉に近いのがcomplicitという語である。この言葉を意識したのは、James A.Fujii.Complicit Fictions:The Subject in the Modern Japanese Prose Narrative.University of California Press,1993.という本によってである。訳せば、『共謀する小説』とでもなるのだろうか。
complicitの意味は次のとおりである。
complicit[com・plic・it] [kəmplísət] [形](…に)共謀の[した], 共犯の[した], 連座した((in ...)).
『プログレッシブ英和中辞典』
この共犯性、相互性をどうとらえるかが、共同幻想について考えるにあたって、たいへん重要な問題だと思う。(木股知史)
