本人証言は信頼できるか

 文学者本人の発言や書いたことは、つい信頼してしまうが、事実でないことももちろんある。資料批判の方法についてあまり考えてこなかった。

 昨日の『リトル・トリー』が偽書であるとして、もし、著者にアメリカ原住民に接する体験がまったくなかったとしたらどういうことになるのだろう。つまり、体験的根拠がなくても、人は、あることについて体験してきたかのように記述できるということだ。それは、小説としてはありなのか。しかし、「この小説はフィクションです。」という付記があったら、すごくおかしい。

 よく編集され構成されたそうした記述を、体験的根拠に基づくものだと判断してしまうことがあれば、それはやっかいなことだ。もしかすると、人文学の根っこにかかわる問題かもしれない。

〔付記〕『リトル・トリー』の検証サイトが見つかった。やはり作者は、アメリカ原住民の生活には全く無知であったという。自伝として販売されていることが問題だという。『アフリカ的段階について』における引用は、小説であることは認識しているが、体験に根ざしたものとしてなされている。

 

◇ある人から、呉智英の吉本本の批判を記したブログがあることを教えてもらった。まだ、続きがあるようだ。同感するところが多い。

◇okatakeさんのところに、外はねショートの加藤紀子がうたう「ふゆがきた」が貼り付けてあり、聞いたがとてもよかった。