日本注釈学院青春記 間奏曲①

 「共同幻想の巻」は、中絶したままですが、「間奏曲」として、架空の講演を考えました。その①です。

 まあ、小説ですので。

 

    日本注釈学院青春記 間奏曲 〈作者を作り、作者を壊す①〉

                木股 知史

 ただいまご紹介していただいた木股知史です。伝統ある日本注釈学院の特別セミナーにお招きいただいたことを名誉に思うとともに、感謝しております。私が招かれたこの寄付講座は、匿名の経済界の成功者が、注釈の意義を認めて、寄付したお金が元になって開設されたと聞いています。三人の専任教員が雇用され、授業は持たずに、特別アカデミーのチュ―トリアルを担当し、日夜、学生の研究を支えているということです。むろん、このような寄付講座は、一つではなく、様々な研究分野に対応して開かれているそうです。他の学園には見られない充実ぶりだといえるでしょう。
 さて、特別セミナーに招いていただいたときに、感じたことを正直に申し上げますと、私のような凡庸な存在では責任を果たすことができないのではないかという懸念でした。連絡をいただいた事務局に、ほんとうに私のような凡庸な存在でよいのか、繰り返しお尋ねした次第です。当寄付講座の主任教授富岳深傾先生からは、あなたが凡庸であるとの自己評価については、判断を差し控えますが、そうであったとしても、そうでなかったとしても、学生たちは、あなたのお話からきっと多くを学ぶことでしょう、是非来院していただきたい、との言葉をかけていただきました。プレッシャーを増やしただけで、とんだおろかな顛末となったわけですが、かけていただいた言葉を、私なりに都合よく理解して、凡庸な研究者の考えたことをそのまま謙虚に伝えることにしよう、とそう思いなおしたのです。
 さて、本日の〈作者を作り、作者を壊す〉というテーマを聞いて、私はすぐ、若い頃の出来事を一つ思い出しました。私の恩師は、国崎 望久太郎といいますが、私が教えを受けた頃は、60歳をこえていました。かつては火のように厳しいという噂がありましたが、当時はすっかり温顔の人になっていました。近世歌論の研究で学位を取り、近代短歌も関心があり、石川啄木についての著作もありました。 私が修士課程に在籍したおり、授業がまだ始まらないので、調べ物をしていて、たまたま校舎で先生にいきあうと、「今年は、作者とは何か、というテーマでいきましょう。そこで、木股君、最初の2,3回、報告をしてくれないか」と言われたのです。
 時あたかも作品論全盛の時代でしたから、いかにも常套の発想を嫌う先生らしい着想だと思いました。同時によい知恵が浮かばず困ったとも思いました。しばらく熟考して、伊藤整の仕事を使おうと思ったのです。文壇史は、作品ではなく、作品が生まれる環境そのものに注目したものであり、また、近代日本人の発想の諸形式についての伊藤の考察は、作品に表象された類型に注目するとともに、作者の類型化にも関心を及ばせた仕事でした。そのときは、十分理解できたとは思えませんが、伊藤整の仕事を通じて、作者も作品と同じく表象に含まれる問題だということをぼんやりとですが、感じとったのです。仮面紳士や逃亡奴隷という類型概念は、まさに、作者を表象としてとらえるという着想に導かれたものだといえるでしょう。

 伊藤整のおかげで、基調報告をつとめることができました。最近、出版史や、作家の原稿料についても詳しく研究されるようになりましたが、伊藤整の文壇史の試みはそうした内容を先駆的に含んでいたといえるでしょう。授業では、折口信夫の貴種流離譚なども取り上げられました。もちろん話型の問題だけではなく、作者像のパターンについても問題にされたことは覚えています。
 恩師には「落伍者の文学」という石川啄木論があるのですが、伝記よりも表現を重視していた恩師が、なぜそのような発想をしたのかがわかりませんでした。このエッセイは、1958年に執筆されたものですが、中身の大半は啄木の伝記的記述にあてられていました。「文学の文学的おもしろさには、こうした実生活との関係から喚起される部分が多いことも事実である」と恩師は書いています。太平洋戦争以前の啄木評価は、中野重治らに代表されるように、国家に反逆した革命的詩人という詩人像に集約されるのですが、恩師はそうした傾向に対するアンチテーゼとして、「落伍者」という概念を対置しているように思われます。ただ、末尾に注目すべき記述が現れます。恩師のそれまでの記述に矛盾する側面をさえ感じさせる記述なのです。資料に引用してあります。


「啄木以外にも多くの落伍者があり、その文学があった。時代と歴史の性格によってそれぞれの個性の実質は違っている。それをひとつひとつ解きほぐすことがたいせつであるが、われわれの文学を享受する心的傾向に、こうした落伍者に対する判官ビイキ的な偏愛があることは警戒せねばならぬ。判官ビイキはわが民族の精神構造の顕著な特質であるし、義経伝説をはじめ多くの伝説を形成せしめた。今、啄木が若くして天才詩人であり、人生のありとあらゆる悲惨を経験し、美しい恋愛をし、悲哀に満ちた歌を作り、ついに落伍したということによって、仮に革命詩人としての先駆的光栄を与えることには、慎重であるがよい。われわれは啄木伝説の形成をその研究史の中に指摘することによって、啄木がおかれていた歴史的位相により近く接近する道をさがさねばならない。そうしてこそ啄木を正しく把握することができるだろう。」

 1930年代の啄木のイメージは、革命詩人というものでした。吉田孤羊が中心となった改造社版全集の内容見本(1928年)には、革命詩人という言葉が使われています。恩師のエッセイには矛盾があります。革命詩人のイメージを相対化するために「落伍者」の像を提示したのですが、その「落伍者」の像も啄木伝説の形成に加担する可能性があり、そのことを警戒しないといけないと、記しているのです。落伍者という発想には、折口の貴種流離譚からの連想が働いているのかもしれません。後年、神話学者松前健先生の講義を2年にわたって聴く機会があったのですがラグラン卿や、ジョゼフ・キャンベルの英雄論について教わりました。そのなかに、アイヴァン・モリスの『高貴なる敗北』の日本的英雄の類型論のことも含まれていました。モリスは、ヤマトタケル、義経から、正成、西郷隆盛にいたるまで、敗北と流離を与件とする日本的英雄について論じています。恩師の指摘は、モリスにも通じると思われます。何より重要なのは、作者像が、伝説、神話として流通するということへの注意喚起でした。

 

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