さて、架空レクチャーの2回目です。
日本注釈学院青春記 間奏曲②〈作者を作り、作者を壊す②〉
木股 知史さて、戦後の日本近代文学研究の始まりは、伝記研究が中心でした。塩田良平の樋口一葉研究、岩城之徳の石川啄木研究などがその代表です。どうして、作品ではなく、作家の伝記研究が注目されたのでしょうか。
岩城之徳『石川啄木伝』(昭和30 年11月、東寶書房)には、風巻景次郎が序を書いていて、次のように記しています。
「実証的考証の学問的限界はもとより存在する。けれどもその限界を守る事によつて岩城君は、自からの哲学論をふりかざす事なく、啄木自身の存在を静止せる状態にあつて呈示する。」
「哲学論をふりかざす」というのは、作品について論じる評論的言説のことを指しているのでしょう。そうした評論的言説に対して「実証的考証」にもとづく伝記研究が対比されているわけです。
もうひとり、序を寄せた吉田精一は書いています。
「一体石川啄木はその不幸な生涯に比して、死後の研究者にはめぐまれてゐた。すでに金田一京助、土岐善麿、吉田孤羊、斎藤三郎、石川正雄その他の諸氏実証的研究であると同時に理解に富んだ諸著があり、啄木研究の堅固なる地盤を作つた。以後新鋭の評論が相ついで出、日本の近代文学の評論研究中最も多くの論客を動員してゐるものに属する。しかしそれらは多く啄木の現代的意義又は価値評論であつて、伝記的、実証的な方面については、調査の更に深まつたのは最近のことである。さうして岩城君が頭角をあらはしたのは、主としてこの面である。」
ここでも「価値評論」と「伝記的、実証的方面」は区別されています。同時代の埋もれた文献や個人情報にアクセスすることで得られた情報が、客観的なものだという評価があるようです。客観的、実証的研究として、伝記研究がとらえられています。テキストを対象とした価値付けは評論的な作業で、それは実証とはいいにくいという考えも背後にあったのでしょうか。この伝記は、革命詩人啄木の神話を剥がす役割をはたすとともに、短歌などの表現が伝記のインデックスのように扱われるという傾向も生み出しました。
伝記研究は、著名な人物を対象とすることがふつうで、キーパースンだけに光があたってしまいます。著名人物と交渉があったために名前が残っている人がありますが、その事績は詳しくは分からないということが往々にしてあります。啄木の場合ですと、晩年に文通があった高田治作(紅果)という人物がいます。小田切秀雄編『石川啄木の手紙』(昭和 46年11 月、潮文庫)の人物解説を引いてみます。
「高田治作(紅果)明治二四-昭和三〇( 1891~1955 )小樽市に生る。啄木が『小樽日報』時代に知った年少の友で、当時は保険業奥田商会に勤務、十七歳。後年その商会代表となる。友人の藤田武治と啄木を訪ねたのがはじまりだが、啄木は後後までこの二人にしたしみをもち続けている。のち高田は小樽の文芸関係者の一中心となり、戦後まもなく小樽啄木会をつくり、また『秘められし啄木遺稿』の著がある。彼の主唱で啄木歌碑が出来た。」
あくまで、啄木に重点を置いた記述なので、高田がどんな活動をしていたかはわかりません。亀井志乃『〈緑人社〉の青春―早川三代治宛の木田金次郎・高田紅果書簡で綴る大正期芸術運動の軌跡―』( 2011年12 月、小樽文学館叢書第 2巻)という本があって、高田紅果の事績が詳しく記されています。大正後期に、中村古峡の講演会、蓄音機を使ったレコードコンサート、水彩画の講習会などを開催し、活発な文化活動を展開していたことが分かります。著者の表現を借りると、「他人(引用者注-「ひと」とふりかな)の事をお膳立てするよりは、自分も渦中に飛び込み、参加しているのが好き。でも、自分自身がスポットライトを浴びるよりは、むしろ裏方的な、コーディネート・マネージメントといった方向に熱中する。それが、彼の顕著な特徴でした。」。
こうした人物が、若い日に出会った啄木に関心を抱いたのはもっともなことです。また、啄木も若かった頃の高田と藤田に宛てた書簡で雑誌『樹木と果実』について語る気になったのでしょう。この本は、文化ネットワークの掘り起こしという点でも示唆的なものです。
晩年の山口昌男の仕事、たとえば、『「敗者」の精神史』などは、なぜこんな脱力した仕事をするのかと不審に思ったことです。今では、文化ネットワークの復元というモチーフをよく理解することができます。中心化されてしまったひとりのキーパースンからはうかがい知れない文化ネットワークには、もともと非中心的な特性があり、制度化された序列を相対化するというモチーフがあったのですね。
《古本オモシロガリズム》というブログの主は、高島俊男を踏まえて「半有名人」の重要性を説いています。
この教室に来る前に、一階のホールを通過したとき、掲示板に掲げられていたポスターがおもしろく記憶に残りました。確か、太い文字で大きくななめに「埋没重要人物発掘隊を組織せよ!」と書かれていました。「公費にたよるな」ともあって、リストアップされた重要だが、埋もれている人物の事蹟を明らかにするための有志をつのるポスターでした。厳しい正課の授業以外に、こうした自発的な活動を行おうとする学生さんには、敬意を表します。うまくことが運べばいいですね。「半有名人」にしても「埋没重要人物」にしても、その命名には既成有名人との関係性がはたらいているようですが、知られない、埋もれた人々の文化ネットワークそのものには、非中心化の力が備わっているのです。
