おそらくポスターも同じだと思われる。
かなり前になるが、初めて見たときの《夜》の印象は、まがまがしいものだった。死者たちを描いていると思ったからである。
しかし、よく見ると横たわる人々は、生きていて苦悩しているようにも見える。一番奥の司祭ふうの装束の人物は何を示すのであろうか。
福岡市美術館の『藤森静雄展』の図録(1982年)に収められている石田泰弘編の「年譜」の1907年の項には、中学時代のこととして、「在学中、「中学世界」を愛読し、「聖書」を懐に散策する。(藤森美津彦談「日記」)」という記述がある。田中恭吉と同じく、藤森にも聖書への関心があったのである。
そうすると、《夜》は苦悩と救済の対比を描いていると言うことになるのだろうか。奥の司祭ふう人物は、道を見出し歩む人なのかもしれないし、苦悩を慰撫する役目を負っているのかもしれない。
知人は、ベックリンの《死の島》を連想した。わたしは、フランス象徴派との脈絡を感じる。
左、藤森静雄《夜》。右、ルイス・ウェルデン・ホーキンス《死者の魂の行列(クリスマス、神秘的な絵)》。
アルノルト・ベックリン《死の島》。
今見ればわかるが、月映時代の藤森は鎮魂の版画家だ。
100年前の鎮魂が、今にどのようにひびくのか。
