*月映展関連記事
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目から鱗。何がというと、和歌山県立近代美術館ニュース81号に掲載された熊田司氏の「「月映」とは何か?―100年目に解きほぐす試み」という文章である。
『広辞苑』に「月映(つきばえ)」という語が採録されており、『源氏物語』の「竹河」の巻に用例があるという。また、『日本国語大辞典』(1972年)では、「月栄」の用字もかかげ、『夜の寝覚』の用例もあげている、という。そして、熊田氏が紹介しているように、田中清光『月映の画家たち 田中恭吉・恩地孝四郎の青春』(1990年、筑摩書房)は、源氏、寝覚の用例にふれて、次のように書いている(111~112頁)。
月映(つきばえ)という言葉なら源氏物語や夜の寝覚にも用例があり、古来から月の光に照らされて物や人が一段と美しく映えることを指して用いられてきた。音を「つくはえ」として新しい感じをもたせたが、これを思い付いた恭吉の意識の底には、ふかい闇とそこを照らす月の光とが秘められていたと読むことができる。
熊田氏は、この指摘について、「これらの辞書に拠った上で、それとは少々行き違う語感が田中恭吉の用字意識に潜んでいたことを示したかったからであろう」と述べている。
熊田氏は、辞書や源氏刊行の状況、中学の古典教育、田中恭吉の作歌などをふまえて、次のように述べている。
こういう「教育環境」のなかで、源氏「竹河」の「月ばえ」、あるいは「槿」(引用者注―「あさがお」のルビあり)の「月にはえて」の語に偶然接し、意識下にその言語表現が深く刻まれた、ということがなかったとはいいきれない。そして刊行がはじまった有朋堂文庫版源氏のニュースや、2年前に出た與謝野晶子『新譯源氏物語』の旧聞などが連合して、ひとつの「気色」(気分象徴)を恭吉の意識に醸成し、その混和が意識下から「月ばえ(月映)の文字を浮上させた、と想像することもあながち的外れではないと思う。
熊田氏はこのほかにも、たくさん興味深い指摘をしているが、関心ある方は、電子版が公開されるのでぜひ一読されたい。
「月映」を「つくはえ」と読める人はほとんどいないだろう。「月間上映」の略ですか、なんていわれるかもしれない。しかし、「月かげ」や「月光」では、あまりにありきたりで、「月映=つくはえ」はやはり絶妙の選択のようにも思える。とんがった試みながら、埋もれてきた100年間を、それは雄弁に語るからだ。
「竹河」の巻のどんな場面か。調べてみる。阿部秋生、秋山虔、今井源衛校注・訳の小学館版『日本古典文学全集16 源氏物語五』(昭和50年)を引いてみる。薫と蔵人少将が正月14日に行われる男踏歌(をとこたふか)に参加する。翌日、冷泉院は薫を召していろいろ聞く。
踏歌の当日、「月は、夜深うなるままに昼よりもはしたなう澄みのぼりて」という状態であった。
「「一夜の月影はははしたなかりしわざかな。蔵人少将の月の光にかがやきたりしけしきも、桂のかげに恥づるにはあらずやありけむ。雲の上近くては、さしも見えざりき」など語りたまへば、人々あはれと聞くもあり。「闇はあやなきを、月映えはいますこしこころことなり、とさだめきこえし」などすかして、
*ルビは省略。
口語訳を引用しておく。
(薫が―引用者付記)「先夜の月影は、きまりがわるいほど明るかったですね。蔵人少将が月の光にまぶしそうな顔をしていましたが、その様子も、桂のかげに恥ずかしがったのではないのでしょうね。雲の上近くではそうとも見えなかったのです」などとお話になると、女房たちの中には、おいたわしいと思って聞いている者もいる。「夜の闇はかいのないもので、匂いは隠しようもございませんが、そのうえに、月明かりに輝くお姿も、やはりあなた様のほうが少し格別の風情だ、と皆でお決め申したことでございます」などとおだてて、
角川文庫版の与謝野晶子訳(『全訳源氏物語下巻』1995年5月30日40版)もひいておく。
「昨夜の月はあまりに明るくて困りましたよ。蔵人少将が輝くように見えましたね。御所のほうではそうでもありませんでしたが」
などと言う薫の言葉を聞いて、心に哀れを覚えている女房もあった。
「夜のことでよくわかりませんでしたが、あなたがだれよりもごりっぱだったということは一致した評でございました」
などと口上手なことも言って、
薫から見た蔵人少将の様子については、「簾中の御息所を気にして緊張していたのだと告げる」と清水好子が注を付けている(『新潮日本古典集成 源氏物語六』昭和57年、新潮社)。蔵人少将も薫も大君のことを思っていた。
女房のお世辞であるとしても、薫は、圧倒的に美しく、月映えしていたのである。
もしかしたら、田中恭吉はこの場面を知っていたのかもしれない。月映えする薫は、田中たちの自画像というよりは、彼らが選んだ版画を暗示しているようにも思えるからだ。
あと、『国歌大観』には「つきはえ」「つくはえ」「つきばえ」などの用例はなかった。
【付記】
2024/11/18 12:04 リンク貼り直し。
