昨日今日と、和歌山県立近代美術館の恩地孝四郎展は、どうだっただろう。図録はだいぶん売れたのかなあ。
さて、恩地孝四郎について、初めて知ったのは、1930年代の『飛行官能』(1934年、版画荘)によってである。30年代モダニストの一人だと考え、創作版画のことなど何も知らなかった。ただ、図版で知る『飛行官能』は、すごくかっこいいと感じた。

和田博文『飛行の夢1784−1945』(2005年5月、藤原書店)は、『飛行官能』について、写真と活字を結合する「タイポフォト」の手法によるモンタージュ表現が斬新な感覚を生み出したと、指摘している。
しかし、田中恭吉についての勉強がきっかけとなって、恩地孝四郎の多面性に触れることになった。夢二への親炙、白樺派の影響、象徴主義とモダニズム・構成主義というように、転身のすばやい人だと見ていた時期もある。万人の芸術を提唱しながらも、旧来の抒情概念の全否定による斬新な表現を志向するところに、矛盾があるようにも感じられた。
『月映』の前身である、回覧雑誌『密室』の翻刻を行なったとき、6号から参加した恩地が書いた「自己について」という文章がたいへん重要な意味を持つと思うにいたった。象徴主義とモダニズムは、以前は切断された断絶的関わりとして捉えられることが多かったが、象徴主義はプレモダニズムと見なせるのではないかという見解に同感した。
つまり、象徴主義は隠された内面を前提とするが、それは近代的個我の枠組から逸脱してしまう。恩地が見出したのは、〈未知の自己〉という着想であった。それは、単純な内面の抒情を、否定しつつ統合する志向を持っていた。
*拙稿「回覧雑誌『密室』の画文共鳴」
先日、600円で購入した池田満寿夫『複眼の思考』(1980年、白水社)には「恩地孝四郎試論」という文章が収められていて、いろいろ参考になった。この文章は、形象社の『恩地孝四郎版画集』(1977年)の解説として書かれたものである。

池田は、恩地の刷りへのこだわりについて、次のように書いている。
そうだ。孝四郎が生涯めざしたものは、版画の概念を変えること、逆説的にいうと版画でない版画をつくることにすべてが費やされたのである。晩年になって、そこへ向かう意志が尖鋭化してきたが、さまざまな屈折を経ながらも初期から晩年までの創作過程の根底にあるものはこの意志にほかならない。そしてまず第一に孝四郎が反発したのは版画の職人的気質への依存であった。孝四郎の自刷りに対する偏執狂的なまでの苦闘は、刷りそのものが芸術家の表現(引用者注-傍点あり)としての方法にほかならなかったからである。
引用の後で、「刷りという表現」という言葉を、池田は使っている。
そして、不思議なことに、恩地の対極にあると思われる、小村雪岱のような挿絵画家もまた、「刷りという表現」に徹底的にこだわったのである。もちろん、「刷り」の内実は、自刷りと印刷という違いはあるのだが。尖鋭な個と、共同的な集合性は、「刷りの表現」のレベルで交差しているのである。(木股知史)
