古書からたちで、購入した長田幹彦『文豪の素顔』(要書房)がおもしろい。
幹彦の兄は、秀雄で、木下杢太郎と同窓で劇作家。父は医師だったが、二人とも後を継がなかった。
「森鴎外」の章では、秀雄の作とされている『歓楽の鬼』は、じつは幹彦が書いたものであると記してある。「三田文学」の締め切りに間に合わず、秀雄が断りなしに弟の作品に少し手を入れて送稿したのだという。
幹彦は、後年、小山内薫に「秀さんは『歓楽の鬼』をかいてすぐれた芸術的純粋さを示したが、幹さんは依然としてセンチメンタルなメロドラマチストだ」と非難されたと言って、苦り切っている。
誰か、『長田兄弟風雲録』という題で、伝記を書いてくれないだろうか。
〈付記〉2016・10・11。《てくてく 牛込神楽坂》というサイトがあって、上記、長田幹彦の「森鴎外」が、注釈付きで全文読めるようになっている。この会は「青楊会(せいようかい)」と言って、鷗外が作ったと言われている。「鷗外日記」の明治41年(1908年)4月18日の条には「四月十八日(土) 夜上野の青楊會に往く。夏目金之助等来会す」とある。長田兄弟の写真もある。吉井勇は、奥田瑛二の若い頃に似ているなあ。
