木版コマ絵の刷り

 さて、木版コマ絵の刷りについて考えてみる。
 岩切信一郎「印刷から見た夢二作品」(『夢二 1884−1934 アヴァンギャルドとしての抒情』展図録、2001年4月、町田市立国際版画美術館)の所説を紹介しよう。
 岩切氏は、明治末期は、木版を原版とすることが多かったという。岩切氏は「夢二が挿絵画家としてデビューした明治末期は、まだ木版を原版として用いることの方が主流であった。後の大正年間になって活発化した、描いた描線の原図そのままを写真複写して陰版を作る(湿版法)写真亜鉛凸版よりも、手数はかかるものの、線描の原図が木版彫師によって、より明確な線描となる木版の方が読者には好まれた。」と述べている。
 岩切氏は、「これらコマ絵・挿絵の印刷となると、絵の版木を直接に印刷機で刷るのでは無く、紙型取りしたものに鉛を溶かし込んだ鉛版を刷版として用いる「紙型鉛版(ステロー法)」が行われた。」と指摘している。
 氏は、『中学世界』第8巻第11号(明治38年9月10日発行)掲載の勝間舟人『印刷の智識」を参照している。組版の活字版面に「合紙」を載せ、打ち込んで裏張をして羅紗を載せ乾燥室で乾かして、はずすと紙型がとれる。紙型を鋳型に仕掛け、鉛の溶解液を流すと鉛版ができるのである。
 勝間氏も「昔は組版の校正直しが済めば機械に上せて印刷した」と書いている。
 しかし、多くの枚数をするために鉛版が便利だったということになる。また鉛版は湾曲し、輪転機にも対応できた。

岩切氏は、活字面に限らず、コマ絵も紙型にとったと考えている。紙型にとれば、原版は不要になりそれを集めてコマ絵集としたのが、『夢二画集』の始まりだという。
 これまで、コマ絵の版木を何度か見たが、版木そのものがインキで染まっている場合が多かった。例えば、『夢二 1884−1934 アヴァンギャルドとしての抒情』展図録(2001年4月、町田市立国際版画美術館)には版木の図版が3点あるが、いずれもインクで黒くなっている(82、83頁)。試し刷りの後ともいえるし、そのまま印刷したとも考えられるだろう。
整理すると、木版からの直刷り、紙型鉛版、写真亜鉛凸版の三つの刷り方があったといえるだろう。

まずは、夢二画集の木版コマ絵と、大正末期刊行の金属板の同じコマ絵を比較してみることにしよう。

まず、『夢二画集 夏の巻』(明治43年9月6版、洛陽堂)のコマ絵。
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次に掲げるのは、『縮刷夢二画集』(大正13年2月、若月書店)の同じ絵柄のコマ絵。大きさは木版より小さい。判型は菊半截だと思う。縮小は写真版ゆえに可能になったと思われる。
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ポイントは、木の幹のかすれの表現である。
拡大してみる。
まず木版。
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次に金属版。

S20170306_004.jpg

木版の方がかすれが多い。
金属板は、かすれの、特に垂直方向の分断が少なくなっていることがわかる。

問題は、木版が紙型鉛版によるものかどうかという点である。

ここはもう少し比較の対象を増やして考えることにしたい。
(木股知史)



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