斎藤昌三『書痴の散歩』(昭和7年11月、書物展望社)を見ていると、「装幀界の追想」(初出、昭和4年11月、「商業美術月報」)に、「装釘も明治大正昭和と通じて、草双紙型からボール表紙、新大和綴から布装、革装と大体の変化を見、表紙の印刷も木版から石版、金版と進化し、今日に至つてゐる」云々という一節があるが、金属版、すなわち亜鉛凸版は「金版」とされている。読みは「かねはん」でいいのだろうか。
先日購入した水島爾保布『東海道五十三次』(大正9年3月、金尾文淵堂)は、金属版と色刷り木版が並行した、おもしろい取り合わせになっている。
ところで、この本では、目次に版の種別が明記されている。木版は「着色木版」と呼称され、亜鉛凸版は「凸版」とのみ記されている。「凸版」は、亜鉛凸版の略称と考えてよいだろう。「凸版」の図版はモノクロで、細密な線描や点描がその特徴となっている。「着色木版」という呼称は始めて知った。「着色写真」からの連想で、版画に彩色したものかというと、そうではない。
じっくり見て驚いたのであるが、輪郭線などの線描は金属版でしか出せないような細かさを示している。裏面を観察すると、線描のへこみも看取される。これに対して、「凸版」の挿絵の裏には圧によるへこみはほとんど見られない。
「着色木版」の裏面は、くっきり輪郭線のへこみが出ていて、ばれんのあとらしきものも見出される。
何を驚いているのかというと、「着色木版」の線描、いわゆる「主線」の表現があまりにも細密であるからである。制作過程が異なる「凸版」と木版の混合は、むずかしいと思われる。
ということは、「凸版」の刺激を受けて、木版の主線(輪郭)の表現が細密になったということなのだろうか。じっくり、考えることにする。
これまでの知見では、明治末に、木版、石版、三色版が並行している事例はけっこうあるが、この『東海道五十三次』は、大正中期に、亜鉛凸版と木版の並行が見られたという事例を示していることになる。
「赤坂(長沢村)」
家の部分を拡大してみよう。
色面の上に、線描の版があるのがわかる。
拡大画像は、ナノキャプチャによる。
(木股知史)
