古本との出会いによって、ずっと気にかけていたことの手がかりがつかめることがある。
書きものがすすまず、すでに夕刻であるが、阪神夏の古書ノ市に再度足を運ぶことにする。古本好きの人々が収穫をあげていることが刺激になったということもある。会場は初日に比べると落ち着いていて、じっくり見ることができた。
書苑よしむらのところで図録を見ていると、図録の判型、体裁ではあるが、著作らしきものが数冊並んでいるのに気がついた。
市道和豊『渋谷修 アバンギャルドから消された男』(2011年、室町書房)という1冊に目がとまった。かつて、竹久夢二の文献をたくさん読んだときに、渋谷修という名前に覚えがあったからである。たしか、前衛美術と竹久夢二の関連についてふれていたはずである。
買い求めて、カフェでじっくり見ようと思ったが、時間もあるので、電車に乗ることにした。車中で紙袋を開いて、さっそく見分することにしたが、渋谷は、能登の人で、未来派美術協会の主導権を握った木下秀一郎の右腕として活躍したという。浅草の舞台美術や、日本蔵票会にもかかわり、雑誌『グロテスク』や『マヴォ』に寄稿していることもわかった。年譜では、1900年に生まれ、1963年になくなったとある。
夢二との関係を示す記述は、次のように記されている。
竹久夢二に師事したと『銀花』(第50号・1982)に書かれているが、その裏付けを私は確認していない。『夢二日記』にも渋谷は登場しないし、他の本でも私の知る限りでは発見できない。しかし、『グロテスク』(S4・9月)「現代異端画人伝」の夢二の項では、夢二の様々なエピソードを紹介しながらも辛辣さが見られす、逆に夢二への最大の敬意が感じ取れる。夢二の身辺に近くないと書けないようなことまで書いているので、東京でも大阪でも夢二との付き合いはあったものと思われる。
帰ってすぐ書架をさがして、合本版の『本の手帖』夢二特集を取り出す。ポストイットがはってあるところをくっていくと、第一集(1962年1月)に、渋谷修が「竹久夢二と私」という文章をよせていることがわかった。
同郷の酒造家、山本翠葉の俳友の巌谷小波を紹介してもらい、黒田清輝と竹久夢二への紹介状を書いてもらう。黒田邸はあまりに立派で「身分違い」と思って、門前まで行ったが訪問はとりやめた。
夢二を港屋の2階に訪ね弟子入りをこうがことわられた。ただし、友人ならいい、というので絵を見てもらうことにした。大正5年のことである。
わたしが留意したのは、次のような記述である。
日本の精神的美術——即ち前衛派の絵画は夢二の絵画を出発点として発生した、と私は自著「日本前衛派美術前史」に書いたが、それは今でも疑っていない。というのはその派の仕事と運動をした私自身がそうであるし、日本に一番最初にこの派の作品を発表した、恩地孝四郎も、夢二を師として(師弟関係は私同様一面友人としてではあったが)画家になったのである。油彩で初めて日本に未来派表現派傾向の作品を二科展に発表した東郷青児も、私より一年前の大正四年、夢二の画と人気に憧れて、自称ではあるが、弟子入していた事が偶然とはいえないのである。
渋谷の著作(書物か論考かわからない)である「日本前衛派美術前史」というのが、さがしたけれどわからないのである。
市道の本にも、その書誌を見出すことができない。ただ、年譜の終わりのほうに、次のような気になる引用が見出される。
戦後まもなく「当時は、往事の運動参加者が多数生き残っていた。未来派の推進者の一人であり、その運動史を、銀座裏のうらぶれた衛生器具店の奥で書き綴っていた渋谷修を、何度か訪ねたことなども、想起される。出版の話は立ち消えになってしまったようだ。あの膨大な原稿はどこへ行ってしまったのだろう。」(『現代芸術のパイオニア』瀬木慎一・あとがき、1979・5月、記)
渋谷のエッセイが掲載された『本の手帖 竹久夢二特集』第一集が刊行されたのは1962年であるから、その翌年に渋谷は亡くなっている。
エッセイを寄稿した時点では、出版の準備が進んでいたが、著者の死によって中絶してしまったということだろうか。「膨大な原稿」の中身を知りたいものだと思う。
エッセイでは、渋谷自身、そして東郷青児や恩地孝四郎との人間関係から、夢二が前衛芸術の生みの親であることを語っている。ただ、夢二の「絵画」が出発点だと述べている。私が知りたいのは、夢二の「絵画」のどのようなところが、前衛芸術に刺激を与えたのか、という点である。
恩地については、「抒情」概念を、夢二の主情的、主観重視の表現から、近代的主観性を切断した、受け手との協働によって生まれる純粋内面に転倒したことがわかっている。そのプロセスについて、もっと具体的に知る手がかりを、渋谷の幻の著作はもっていたにちがいない。
京都国立近代美術館の図録『川西英コレクション』(2011年)を見ていても、夢二の装飾性や大胆な置き換えがモダニズムの萌芽を秘めていることがわかる。
渋谷もかかわった昭和初期の「主情派美術展」、『グロテスク』の渋谷の表紙画も、夢二との関連性を感じさせる。渋谷その人が、夢二の絵画からのヒントをどのように受けとったのか、本が失われた今は、想像してみるしかないのである。(木股知史)
*『グロテスク』は、ゆまに書房から複刻が出ている。
〔付記、2017・12・24〕《tonchi_books@いろいろ謹慎中》さんの2013年3月4日のツイートに「その他 あんまりヤフオク覗いてなかったが、これはすごいわ。 「渋谷修生原稿 竹久夢二 一挙264枚」未知の新事実,生写真多数http://page8.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/h171483791 … (終了してます)」という内容が記されている。
