竹久夢二に《わすれうちわ》という作品があって、お葉をモデルにしている。垣の前に立つ女性が団扇をあごのあたりにかざしている。
今でも木版が販売されている(たとえばここ)。
「わすれ団扇」という題は、いわゆる秋扇、夏が終わったあとの団扇のことだ。用済みになったという意味が含まれている。
今橋理子『兎とかたちの日本文化』(2013年9月、東京大学出版会)は、上村松園《待月》という絵について、おもしろい鑑賞を示している。
《待月》は1926年の作品で、柱ごしに団扇を持って欄干に寄りかかる女性を背後から描いている。帯の文様が「波兎」と言われるものでそこから、今橋氏は《待月》の背後に班倢伃(はんしょうよ)の故事が踏まえられているとする。
班倢伃は能の『班女』の典拠でもあり、漢の成帝の寵愛を失う女性のことである。中国の絵画では、胸元か顔のあたりに扇子か団扇を持った女性が立っている構図として描かれることが多いという。例として、鈴木芙蓉の『唐詩選画本』の「西宮秋怨図」の図版が紹介してある(168頁)。
夢二《わすれうちわ》の女性のポーズは、「西宮秋怨図」のものにたいへんよく似ている。すなわち、愛を失う女性という含意が夢二の絵にはあるのかもしれない。伝記的事実に直結しているわけではなく、愛を失うこと、あるいは不安が、秋の団扇の画題に暗示的に含まれているということである。
『三四郎』の美禰子のポーズも団扇をかざしている。はじめて、心字池越しに三四郎が目撃する時のポーズであり、それは画家原口の描く《森の女》のポーズでもある。
美禰子の団扇も「わすれ団扇」の暗示があるのではないか。美禰子は、新時代の紳士を体現した金縁眼鏡のそつのない男(最初は野々宮よし子と話があった)と結婚することになる。その未来は班倢伃(はんしょうよ)のように、忘れられていくものになるやもしれないという暗示が、団扇をかざす絵画《森の女》のポーズに含まれるとみることもできるだろう。(木股知史)
*「漱石の画文共鳴」第5回(神戸新聞2016.7.30夕刊、北日本新聞2016.8.18、掲載)参照。
*過去記事《ひとり読書アンケート①》
〔付記〕「西宮秋怨図」は、こんな図である。
