昨日は京都国立近代美術館の「岡本神草の時代」展へ。金曜は17時過ぎると、800円に。段取り悪く、先に山崎書店を覗くべきだった。帰途寄るとちょうどしまるところだった。とにかく、早く見たいという気持ちがあるので.時間配分をあやまった。
館内はちょうどよい混み方で、見る人の熱気も伝わってくる。『月映(つくはえ)』の人たちと同時代だと思ってみていくと、竹久夢二の模写がある。
図録の解説文、上薗四郎「岡本神草の夢と現—第1回国展《口紅》への歩み」によると、「『青春日記』の大正3(1914)年11月4日の項に、女学生Tに夢二画集3冊を見せてもらったことが記される。」(158頁)という指摘がある。夢二由来のあどけなさが、独特の妖艶さに変貌していく過程がおもしろい。
また、同解説によると、舞妓に関心を持ったのは、大正4(1915)年5月に、長田幹彦の『祇園夜話』を読んだことがきっかけであるという(158頁)。東京ものの長田の祇園小説に、神戸生まれで京都に学んだ神草が関心を持ったわけだ。
《スケッチブック》3種が展示されていたが、太田三郎の『朝霧』もならんで展示されている。いま図録を見ると、おそらく、模写が含まれているのだと思う。
岡本神草は、太田三郎のタッチが好きだったのだろうか。意外な取り合わせだが、太田の斬新な描き方に、神草が関心を抱いたのだと思われる。
調べてみると、太田三郎の『草花絵物語』からの模写も複数見られる(97頁)。
下図は、「藤」の原画。
伊豆志袁登売神(いずしおとめのかみ)の説話に絵をつけている。伊豆志袁登売神は、但馬出石(いずし)郡の伊豆志坐神社の大神の娘。秋山之下氷壮夫(したびおとここ)と春山之霞壮夫(かすみおとこ)の兄弟に言いよられる。
図は、春山之霞壮夫の衣服などから藤の花が咲き出るところ。鉛筆画、あるいはペン画の描法が彩色版として表現されている。
神草は、太田三郎の特徴である少し寸胴がたの女性の絵も模写しているので、デフォルメのしかたに共感があったのではないか。豆千代のあどけない感じは、夢二や太田のコマ絵の少女に通じるものがある。
岡本神草の展覧会で、長田幹彦の名を聞き、太田三郎の本を見るとは思わなかった。疲れが吹き飛ぶ充足した時間であった。(木股知史)
