漱石の『三四郎』に、美学の先生からグルーズの絵を教えられる場面がある。
二、三日まえ三四郎は美学の教師からグルーズの絵を見せてもらった。その時美学の教師が、この人のかいた女の肖像はことごとくヴォラプチュアスな表情に富んでいると説明した。ヴォラプチュアス! 池の女のこの時の目つきを形容するにはこれよりほかに言葉がない。何か訴えている。艶なるあるものを訴えている。そうしてまさしく官能に訴えている。けれども官能の骨をとおして髄に徹する訴え方である。甘いものに堪えうる程度をこえて、激しい刺激と変ずる訴え方である。甘いといわんよりは苦痛である。卑しくこびるのとはむろん違う。見られるもののほうがぜひこびたくなるほどに残酷な目つきである。しかもこの女にグルーズの絵と似たところは一つもない。目はグルーズのより半分も小さい。
ジャン=バティスト・グルーズ Jean-Baptiste Greuze 1725年~1805年。フランスの画家。宮廷風俗を描いた同時代の他の画家と違い,市民生活に題材を求めた風俗画を多く描いた。当時は絶大な人気を誇っていたが、その後18世紀の忘れられた画家として低い評価を受けた。
「ヴォラプチュアス」は、の「ヴォ」は初版では「オ」に濁点がついている。
美禰子は三四郎にとって官能的であるが、瞳の大きさはグルーズの描く女の「半分」の大きさだ。どんな瞳か。わたしが、想像するのは、ある化粧品メーカーの広告イメージに採用されている鶴田一郎という画家の美人画である。引目で目は大きくはないが瞳が大きいという描き方で、山口小夜子のメイクも連想させる。
さて、グルーズの画集をさがしたがなかなかない。
見つかったのは,Colin B. Bailey のThe Laundress (洗濯女)という、一枚の絵の分析本である。ゲッティ・ミュージアムのStudies on Artシリーズの1冊である。
グルーズはかわいい女性だけではなく、職業女性もリアルに描いていたのである。
先日、『新声』の複刻版を見ていたら、グルーズの女性画が図版になっているのに出会った。
また、水彩画関連の描法指導書として買い求めた丸山晩霞『水彩画法 女性と趣味』(明治40年7月、日本葉書会、博文館)の西洋絵画を紹介した一葉にグルーズの《合掌の娘》があがっていた。
案外、漱石もこうした図版を目にしていたかも知れない。
このかわいさは、日本人が西洋女性に見出すかわいさの原型になっているのではないだろうか。あどけなさが必須条件である。
明治、大正の諸雑誌の掲載図版の一覧があって、検索できたらいいのにと思うが、そんなことになかなか予算はつかないよねえ。
