さて、今日も「文藝倶楽部」臨時増刊「ひと昔」(明治37年1月、博文館)より、文豪の書斎紹介。
幸田露伴。明かり障子に向かって文机を置き、その脇に積まれた4、5冊の本。本棚を人目にさらしたりはしない。簡素系である。それもそのはず、これは夏の書斎で冬は応接間兼用なのである。どこか、別の居室(冬の書斎)に本がうなっているのだろう。
女子は、長女歌か。幸田文は、明治37年に生まれている。
思えば、明治37年というのは微妙な年代。
まだ、自然主義の闘将としての花袋も藤村も目立っていない。37年はまだ硯友社や露伴の時代なのだ。
庭は手入れされている。
さて、『ひと昔」掲載の武田桜桃の「文士と其書斎」によれば、露伴家には夏と冬の二つの書斎があり、写真は夏の書斎である。応接間兼用で10畳の広間。軸は武田桜桃によると久保田米僊の《不動》像らしい。
写真では分かりにくいが、「床側はまた二間の違ひ棚になつて居て、其上には五六冊の洋書が載つて居た」とある。
違い棚に洋書か。中身は何だろう。
こどもが一緒に写るのは、どういうコンセプトなのだろう。
むずかしい作をひねり出す文豪も人の親。家庭人としてはふつうの人である、ということなのか。
*昨日よりカメラを変えた。腕は同じなのでさほど変化はないか。
