今日は、洋風書斎の巖谷小波を紹介しよう。『文藝倶楽部』臨時増刊『ひと昔』明治37年1月、博文館。『ひと昔』というのは、創刊10年を記念しての言葉である。
なかなかの美男子である。
下の写真の「息三一子」とあるのは、1900年生まれの長男三一のこと。のち、松竹に入社して商業演劇の分野で活躍した。
机に椅子というスタイルである。
武田桜桃「文士と其書斎」によると、小波は、自宅を「唯想楼」(いそうろう)と呼んでいたという。
最初の頃は、尾崎紅葉と大同小異で、「先づ長火鉢に鉄瓶、茶器、偶には盆栽の鉢が机の一隅を占めて居たことがある」という。しかし、2年間のドイツ滞在後は、洋風に一新したという。武田は「室は洋風でないが、装飾は殆んど西洋其儘になつてしまつた」と書いている。
「今の一番町の唯想楼は英国公使館の前を左りへ、五味坂下の角で、書斎は二階の六畳である」という。
この書斎を飾つて居るのは、独逸仕入れのお伽噺の書類、それと卓上の文房具、灰落し、巻煙草入、凡て来訪者の一顧に価するものばかりで、殊に壁間に懸けてある多くの小兒の写真は、有繫(さすが)に少年文学の泰斗たる氏の面目を発揮せしめ、また他に氏が自筆の水彩画は氏の多芸を証拠立てゝ居る。
書斎は洋風であるが、洋服はさけて和服であったという。
注目すべきは書架。下の写真の左の書架には硝子戸がはまっているように見受けられる。
中の本は、革装の洋書らしく見える。
上の写真の書架は5段ほどもあるだろうか。
こどものおもちゃは汽車も船も豪華である。
【編集履歴】
2026/03/08 訂正、長男三一についての記述を訂正。
