文豪の書斎 座卓派 広津柳浪

 今日は、座卓派の広津柳浪を紹介しよう。『文藝倶楽部』臨時増刊『ひと昔』明治37年1月、博文館。『ひと昔』というのは、創刊10年を記念しての言葉である。
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 ゆがみを出さないため、今日はスキャンした画像である。
 武田桜桃「文士と其書斎」によると、肖像画は、学生時代の尾崎紅葉であるという。
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 柳浪宅は、「麻布桜田の高台、目白附近」にあるという。
 玄関は瀟洒にできていて、「茶人の家としか思へない程洒落て居る」と桜桃は述べている。
玄関から廻り縁を伝ふと、其処が氏の書斎で、床を後ろに、一貫張の机一脚、この机の上からどんな傑作が出るのかと思へば、床しいやうな気もするので、其横手にはまた長火鉢、茶器も揃へてあつて、それには客の褥が向けられて居る。机に向ふ横手は低い書棚になつて居るので、其上には二三の盆栽と、紅葉山人が未だ大学に在学して居られた頃の肖像画が置いてある(写真中に見えるやうに)
 柳浪は、かつてメジロに凝っていたが、今は盆栽に変わったという。
 「一貫張りの机」とあるのは、いちおうここでは座卓としたが、いつ頃から現れたものだろうか。
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 四角型のちゃぶ台から発展したものであろうか。
 背後の書棚の本は平積みである。
 きわめて実務型の書斎のように感じられるが、武田桜桃も次のように記している。
この書斎に在る主人の氏は、綿服の質素な服装で、机上には餘り多くの文具を載せず、原稿紙を広げて、筆を走らせて居られるので客の応接振りも極めて物柔かで、自分はこの日、少年文学に於ける桜桃として、氏の御令息に紹介されると云ふもので、極めて城府を設けられない。夜を好んで執筆され、また昼ならば戸を閉じて著作されると聞く氏の書斎のことであるから、定めし暗い、陰気な書斎であらうと予想して居たが、それとは反対の、極めて明るい、極めて快活な書斎であつたので、実は少なからず驚いたのである。
 次男の和郎はこの時13歳、2歳上に兄俊夫がいたという。
 武田桜桃  (1871-1935)には、『教訓絵ばなし』『怪島征服』などの著作がある。
 柳浪の『雨』は傑作だと思う。