いちおう、11日、京都国際マンガミュージアムで開催された「まんがの色彩学」2日目の報告「明治期、版の表現の諸相 一條成美からはじめて」をなんとかおえることができた。例年この時期は体調が悪くなり、昨日もベストとは言いがたい状況だったが、ほっとした。帰途、ゆかりの者から書類を受け取って、家で仕上げをするつもりが、寝てしまった。
私が得るものは多かったが、私の報告は役に立ったかなあ。オタさんが聞きに来ていたので、緊張した。
もとは、神戸芸術工科大学で大塚英志氏がウェブ時代のまんがの色彩についての自主ゼミをつくって、その流れにある試みだという。
ワークショップも少し聞いたが、フランスのカラリスト、ジェロームさんが、学生さんに複雑はさけて単純さが大事ですと言っていたのは、印象的だった。
というのは、一條成美が亡くなった1910年8月は、コマ絵作家として竹久夢二がスターになりつつある時であり、夢二の線はシンプルで、一條の線は複雑であったからだ。夢二のコマ絵は、経験のあまりない彫刻師でも彫れるシンプルなもので、それが注文への即応を可能にし、多量に絵がでまわることを可能にしたと思ったのである。
帰りに、失効前のポイントを使って、話題に出た山路亮輔の『Biscuit』(KADOKAWA)を買って帰った。オールカラーで、下絵なしで3D方式で描かれたまんがである。ロボットとの戦闘シーンで位置関係がわかりにくいところがあって、そこは一部手描きを導入してもよいのでは、と思ったが、そうするとコスト的に意味がないのかもしれない。実験的な意味はよくわかる作品であった。
報告に間に合わなかったが、雑誌『文庫』100号記念の増刊号「松風」が届いたので紹介しておこう。
(背に補修あり。)
口絵は、一條の《キユウピツド》。
細線で陰影をつけ、輪郭はミュシャ的な太い線である。
太い輪郭線には高階秀爾が提唱した「ジャポニスムの里帰り」現象を読みとることができる。
ミュシャの輪郭線は、浮世絵版画がもたらしたジャポニスムの影響である。そのミュシャを模倣した一條の輪郭線は、「ジャポニスムの里帰り」を示している、ということになる。
「よしだ刀」というサインは彫刻師のものだと思われる。
他にもこのサインはよく見られるので、コンビを組んでいたと推測できる。一條の絵は誰でもが彫れるというわけには行かなかったのだろう。
書き手や読者が一堂に会した松風会(「しょうふうかい」と読むのだろう)。写真撮影を見物する人も写っているが、場所は上野公園、明治35年4月3日である。
右下隅に「猶興舎印行」という文字が見える。
中央あごひげの人物(内藤鳴雪)の左の口ひげ、懐手の人物が一條成美である。伊良子清白や高村光太郎、水野葉舟なども写っている。
一條の右は、順に内藤鳴雪、服部躬治、河井醉茗、横瀬夜雨である。
少し、拡大しておこう。
複刻版よりはやはり鮮明である。
「鳥生」名義の「春期松風会の記」という記事があって、次のようにある。「従来同県人会とか、同窓会都会風たぐひの集会は、世に有りたれど、雑誌の寄稿家なり、読者なり、所持人なり、編輯者なり、撰者なりが一団にうち集うて、胸襟を披いて談笑するは、日本に我松風会を以て嚆矢とせざるを得ざる次第にて、それが最初は十人の上を出でたるは至つて稀なりしに、けふ此頃は追々会員の殖えるばかりか、東京となく地方となく、同趣味の雑誌にても、何々会と八方から旗を上げるやうになりたるも、一は気運の然らしむる所なり」云々。
一條の酔いっぷりはつぎのように伝えられる。
隅の方では成美君の舌呂律大分六ツかしくなりて、『全体伊良子がよろしくない、けふ写真を撮るなら、さうと言ふがよい、僕は髯でも剃つて、紋つきの羽織でも着こんで、来るんであつたに、アハヽヽヽヽヽヽ』など大分の上機嫌、
〔付記 2018・3・29〕大塚氏が「レイヤー論:ノート」を公開している。ここ。
