さて、わたしのなかには、1945年8月15日に大きな断絶があるという認識があるが、平岡敏夫氏の詩集『塩飽Shiwaku』の書評を書いたことが、なぜそう思っているのかを考えるきっかけになった。その書評は、「屈折を貫く詩心」という題で小さな雑誌『明治の森』Vol.2(2004年10月30日、明治文芸講演会)に掲載された。自分のなかにある8・15に新生日本が生まれたという認識がどのように生まれたかを考えたいが、まずその書評を再掲したい。
本ブログへの再掲にあたっては、発行人の許可を得た。なお、平岡敏夫氏は2018年3月5日に88歳で亡くなられている。
【書評】『塩飽Shiwaku』平岡敏夫著(鳥影社)
屈折を貫く詩心
木股 知史詩集『塩飽Shiwaku』には、平岡敏夫氏が一九五四年に刊行したガリ版刷りの詩集『愛情』の作品と、二〇〇三年に作られた作品が収められている。平岡氏は、日本近代文学研究の領域で多くのすばらしい業績をあげている先達であり、筆者も多くを学ばせてもらっているが、本書によって、研究の情熱の背後にある平岡氏の詩心にふれることができた。詩集の表題は、平岡氏の故郷である瀬戸内海に浮かぶ塩飽諸島にちなんでいる。平岡氏は塩飽七島のうちの広島に生まれたが、戦前から戦後への歩みが詩作品によってたどれるようになっている。平岡氏を支えた故郷や父母や近親への思いが率直な抒情につづられている。
平岡氏が、埋もれていた処女詩集『愛情』の詩を再録する気持になったのは、近年になって、時に詩が心からあふれ出るようになったことが契機となっているというが、自己の生の歩みを確認しておきたいという動機も働いていると思われる。それは、私的なものだといえるが、詩集『塩飽』は、私的な動機を超える意味を持っている。それは、戦前から戦後への屈折した歩みを内省的に振り返ってみようという視線がもりこまれているところに見出すことができる。一九四七年に作られた「丘」という詩は、故郷にもどったときの心情をとらえているが、その純一さは筆者の心を打つ。うねうねとただひたむきに
はいのぼる小道。
ほのかな期待を
かろやかなわらじにのせて
くまざさをいたわりつつ
のぼりきし丘。静かな澄んだやさしい海が
赤い灯台をそっと抱いて
私一人を待っていた。遠い四国の山々には
みんな母のほゝえみ。
まばらなむじゃきな丘の小松たち。
私一人をのせて
落ちついている丘には
とおりすがりの白雲が
静かにほほえんでいた。くまざさをいためないように配慮しながら、海を見晴らす丘の道をたどる息づかいが伝わってくるようだ。ふるさとへの帰還をはたした静かな喜びが感じられる。平岡氏は、「あとがき」で、「十四歳から十五歳にかけて一年半の陸軍体験、所沢で対空射撃部隊の一員として米機に銃を向けたような体験は、「丘」にはまったく表われておらず、何もなかったように幼い<平和少年>に<扮装>してしまっている」と書きつけている。この詩に並べて、二〇〇三年に改作された「丘」が収められているが、その末尾は、「塩飽の島々の向こうには四国の山なみ。/生きて還った少年兵がだれもいない丘に立っている。」となっている。自らを帰還した少年兵ととらえた詩行を添えることによって、<扮装>によって隠された戦争の記憶が明確に示されることになった。
平岡氏は、「<扮装>してしまっている」というが、筆者は、もとの「丘」のほうに魅力を感じる。筆者には、ふるさと塩飽の海が「私一人を待っていた」という個に基点を置いた発想が好ましく感じられるのだ。おそらく、戦前を切断した新生としての戦後という意識が、オリジナルの「丘」には濃厚ににじみ出ていて、それが、戦後生まれの筆者の心に強く働きかけてくるのだ思う。この詩によって、筆者は、自分の中の戦後という意識が、戦前から切断されたものであることを教えられるのである。改作された「丘」は、「生きて還った少年兵」という表現によって、戦前と戦後をもう一度連続した時間の中でとらえなおそうとしている。屈折した体験の時間の流れが、五〇年という時間の幅の中でたどりなおされるが、そのことがこの詩集に深さを与えているように感じられる。
戦後の歩みも単純なものではない。一九五三年の「三月七日という日」は、スターリンの死に哀悼をささげているが、五〇年後の二〇〇三年の「ある戦後史」では、「ソ同盟」の「無謬」を信じた青春期への内省が表現されている。そうした屈折は、覆い隠されずに読者に提示されており、詩への思いが生み出す率直さが、体験の屈折を超えて一貫していることを感じることができる。
二〇〇三年の作品では、「人生」という一編が心に響いた。第二連を引いてみよう。言うことがあるのか。
話すことがあるのか。
語ることがあるのか。
降りても降りてもたどりつけないところ。深い深いところ、恐ろしい深み。
なめらかな、とろけてしまう深み。
言えない、話せない、語れない人生。平岡氏は、第一連では島崎藤村の「わが胸の底のここには、言ひがたき秘め事棲めり」という一節を引き、第三連では、各時代の戦争の犠牲者の「表現できない無数の人生」に思いをはせる。詩人や戦争の犠牲者に限らず、言葉にすることができない心の深みは、ごく普通に生きるすべての人々に存在している。それは詩の根拠であると言ってもいいのかもしれない。語りえないが共有されるべき心の深みを通して、人はごく普通の生を深めることができるし、その深みによって、個を超えた歴史の邪悪さに対抗できるのかもしれない。(二〇〇三年八月 一八九〇円)
