神戸大学経済経営研究所 新聞記事文庫のネットアーカイブを検索していておもしろい記事を見つけた。
「福岡日日新聞」 1916年8月10日付の「個人主義と教育[個人主義匡救策(三)]中等教育会の成案」という記事である。
「加納治五郎氏を会長とする中等教育研究会にては七月一二両日間東京高等師範学校に於て東京府及び近隣八県中等学校修身科教員百四十名会合し左記問題に関し討究の結果左の如き成案を得たりと/個人主義の思潮に伴う弊害を匡救する方案」とあって、「個人主義」の弊害について、次のように記している。
個人主義の思潮に伴う弊害と少しとせず就中一、個人を本位とするがため利己に傾き国家社会を重んぜず献身義勇奉公等の美徳を害するに至る
二、個人の自由解放を主張するがため放恣に流れ秩序規律を嫌忌し国家の統一国民の結束を薄弱ならしむ
三、個人を平等視するかため個人の性能に差別あると社会の体制に秩序あるとを顧みざる風を長ずる憂あり
昨今の世相をかたわらにおくと、なかなかおもむきぶかい内容である。西欧的「個人主義」が基本的人権の思想を基にしているという枠組については認識されていないことに留意しておこう。
対策として、中等教育研究会が提案したのは、次のような事項である。
第一、自己の本務を重んずる品性を陶冶すること
個人の人格は社会的実在にして当然本務を有す個人の権利は個人の本務を離れて存するものにあらず然るに世には個人の権利を主張することを先にして本務を忽にするものなきにあらず個人主義の思潮に伴う弊害も畢竟主我的傾向強くして本務の念の微弱なるに由らずんばあらず而して此の弊害を匡救するには所謂思想の啓発のみを以て足れりとせず必ずや品性の陶冶に俟たざるべからず
第二、先ず父母師長の権威を重んじ其の訓戒命令に従順ならしめ次第に自己の良心の権威によりて行動する品性を養成すること
本務の念は道徳的権威に対する敬虔の情と共に啓発養成せらるるものなり而して先ず他律的権威に敬虔ならしめ次第に自律的権威に遷らしむるを以て訓育の順序とす真に立憲自治の国民たらしめんには先ず権威に敬虔なる情念が涵養するを要す幼少の時代に父母師長の権威を軽んじ放恣の習を長するときは決して本務を重んずる情念を啓発し得ざるべし
第三、団体の権威を重んじ其の規律命令を守り以て遵法の習慣を作らしむること
学校、校友会等、共同団体の一員として生徒を訓練することは遵法の習慣を養成し主我的習弊を矯正する上にも極めて必要の事なりとす但し個人の正当なる要求を満し其の個性の尊重を忘るべからず
第四、団体的作業、自治等により其の一員としての徳性を涵養すること
団体的作業、競技、遊戯等に依りて共同一致の習慣、公平無私の精神を養うべし又生徒の発達に応じ適当の範囲に於て団体の自治に習わしむることは立憲自治の国民を養成するに必要の事なりとす
第五、親切献身等の徳行を奨励し是が実行の機会を与うること
家族、師長、朋友等の為に労することを始とし学校、学級、生徒会等の為に力を尽し役員等となりて献身的に行動することは対他的徳性を養成するに極めて必要なり然るに今日は動もすれば学業成績上の利害を打算するに鋭敏となり利己的習性を長ずる弊害なりとせず故に親切献身等の徳行を奨励すると共に生徒をして是に力を用うることを得しめ学業上の要求に偏重することなからしむるを要す
第六、我が国の世界的地位を明かにして国民的自覚を深くし我が国家国体を愛重する情念を涵養し皇国の臣民としての修養を積ましむること
此の目的を達するために内外の歴史の対比、海外旅行等によりて世界の形勢、列国の間に於ける我が国現代の立場を知らしむべし体、知、徳の修養は国民的動機よりすべく単に一身の名利を得んとするが如き個人的のものたらしむべからず
第七、我が国民道徳の特長が家族的たる処にあることを明かにし是が継承発展に努めしむること
我が国民道徳の特長は自我を単に個人的のおのとせずして国家、社会に対しても家族的に一体の関係あるものとして其の本務を尽す処に存す国民をしてよく是を自覚し此の美徳を継承発展せしめたらんには決して主我的の習弊に陥らしむる恐なかるべしたり世には個人の人格を軽んじ家、国等の為に妄に個人を犠牲にせんとするが如きものなしとせず故に個人が常に家、国等の一員たる立場を忘れずして其の人格を充実し以て家、国等の全体の生活を隆昌ならしむることを力めざるべからず
第八、自由平等に関する誤解を防止矯正すること
個人主義の余弊を醸すものは蓋し自由平等に関する誤解を以て最も甚しとす青年にして一たび此の誤解に陥るときは是を矯正すること頗る難きを以て予め深切なる教授を施して是を未発に防止することを要義とし既に此の弊に陥りたるものは個人的の教授訓戒等によりて是を矯正することを力めざるべからず
第九、適当なる読物を指示し健全なる思想を養成すること
現今社会に発表せらるる言論、著作には生徒を不健全なる思想に惑溺せしむるもの甚だ多きを以て教育者は此等に就きて適当なる批判を与え生徒をして適従する所を知らしめざるべからず本方案各項に関する強固なる信念、明確なる理想を啓発し社会の不健全なる思想の影響を防止するために適当なる読物を撰択指示することを必要とす又進んで其の供給の道を講ずることは最も望ましきことなり
「第一」は、某党の憲法草案を想起させる。「第二」の家庭重視はよく見られる論点で、家父長尊重、所属共同体、組織の尊重が主張される。「第三」から「第五」も同じ趣旨で、個人よりも所属する共同体や学校を尊重し重んじることがとなえられている。
「第六」で「国家」が登場する。個人は共同体、学校、家族等さまざまな組織体に所属するが、その最高位にあるのが「国家」である。
「国家」が至上価値であるとしても、「第七」では、さすがに「世には個人の人格を軽んじ家、国等の為に妄に個人を犠牲にせんとするが如きものなしとせず」という傾向には批判的である。ただし、「家族」と「国家」が道徳的につなぎあわされて、つねに「国家の一員」であるという立場が重要であるとされる。
「第八」は、西欧の思想では、「個人主義」は「自由平等」の理念と切り離すことはできないが、それを「誤解」としているのだろうか。簡単に言えば、〈明治日本のルール〉が可能だという考え方なのである。
昨今の、人権は制限してもかまわないとする〈日本ルール〉が可能だとするある種の傾向の源流を見ることができる。
「第九」は、西洋近代の文学や、日本の自然主義の文学が、個人重視の思想を青年に伝えるということが念頭に置かれているとみてよいだろう。
さて、これらを提案した中等教育研究会の会長嘉納治五郎は、長く高等師範学校の校長をつとめており、漱石は大学卒業後に高等師範に英語嘱託として勤務したことがある。
その漱石は、作家となった後に、1914年11月25日、学習院図書館で、「私の個人主義」という講演を行った。
なぜ、「私の個人主義」というように、特に「私の」という限定を漱石がなしたのか長らく疑問だった。西欧的個人主義への疑問は、明治末から大正にかけて、繰り返し言論のテーマとなった。
中等教育研究会の提言は、漱石の講演の後であるが、漱石はこうした個人主義への不信の傾向を意識していたにちがいない。
ただ、漱石の個人主義は、西欧近代の人権思想に基づく個人主義と同じものではない。漱石の「自己本位」は、西洋のものなら何でもよいとする追従的な発想に対する違和から生まれている。その意味では、漱石の発想には、ナショナリスティックな側面があったといえるだろう。
講演の中で、漱石は、国家の危機のほうが個人よりも大きい問題であることは認めている。しかし、漱石の「自己本位」は、国家に従属しない「個人主義」を構想することになった。
「私の個人主義」は、馬場孤蝶が1915年の衆議院議員選挙に立候補した際に、支援のために刊行された『孤蝶馬場勝彌氏立候補後援 現代文集』(1915年3月、実業之世界社)の巻頭に掲載されている。巻頭の「凡例」に「原稿の配置は、寄稿を承諾せられたる順序による」とあるので、呼びかけに応じて漱石はいちはやく原稿を寄せたことになる。
*図版は、『孤蝶馬場勝彌氏立候補後援 現代文集』扉
