いただいた『一寸』第74号(2018年6月)を見ていると、森登氏の「藤島武二の版画図版と『はな』(1) 銅・石版画遺聞70」で、拙著に言及があるのを見つけた。
『明星』がタブロイド判からB5判 (四 六 倍判 )の雑誌形式に代わったのは第六号(三十三年九月十二日)からで、一條が表紙画を描いている。 ジョルジョーネ 《眠れるエヌス》 (第十一号掲載 )の横 たわる半裸の女性をミュシャ風の縦構図にしたものである。乙女の風貌ながら手に持った白百合を口元に近づけ、大腿部に纏わり附いた長い黒髪、乳房と腹部を露わにした線描主体の半裸の女性像は、藤島の時代に即したと評される《浴後》と似たようなボーズでありながら、発禁になった揷図図版より余程官能的であり、当時の社会環境から見て、既に内務省から風俗壊乱で睨まれる要素を多分に持っていた〔図6〕。『明星』の優れた論考である木股知史著『画文共鳴—『みだれ髪』から『月に吠える』へ』(岩波書店、二〇〇八年)では、中宮寺の「菩薩半跏像」と結びつけているが、いささか考え過ぎであろう。表紙我は原画を写真に撮り、猶興社の写真網目銅版に附した製版である。
さっそく11号を取り出して、ジョルジョーネのヴィーナスを立たせてみる。
表紙を拡大すると確かにドットが見える。
拙著への言及はうれしいが、「中宮寺の「菩薩半跏像」と結びつけ」るの「いささか考え過ぎ」だという。
確実な証言はなく、一條成美が関西に旅行に出ているという状況証拠からの推定である。
百合を持つ手の角度が似ていると考えた。
ジョルジョーネのヴィーナスと一條の表紙画の目の表情はたしかに似ている。
一條の描く人物には、淡い憂いがいつも感じられるが、手本にそれがあるのか、独自のものかがわからない。
過去記事では、手塚治虫の女性キャラに似ているのではないかと指摘した。過去記事《一條成美が描く少女について》。
一條成美のゴシップ記事がいくつか見つかったので近々に公開したい。
