明治43年、東京市大水害

 過去記事《大水のあと》で次のように書いたことがある。
石川啄木の歌集『一握の砂』(明治43年)には渋川玄耳(藪野椋十)の序文がついている。
 序文の最後に、「犬の年の大水後」という1行がある。この年、8月5日より梅雨前線と二つの台風が原因で大雨が降った。ウィキペディアに「明治43年の大水害」の立項があり、たいへんまとまった記事になっており、リンクも充実している。
 注釈をつけたときに、大逆事件を暗に指示している可能性についても言及した。
 古書即売会でこのときの絵はがきを見逃したことがある。
 同じものかはわからないが、その見逃した絵はがきに遭遇した。

 明治書院の和歌文学大系77巻の『一握の砂』の注釈には、次のように記した。
一九一〇(明43)年は干支では庚戌。八月八日に東海、関東、東北地方一帯に豪雨があり、鉄道通信が不通となり、各地に洪水の被害が出た。このことは「東京朝日新聞」にも報じられている。その後の断続的な降雨のため、被害は一〇月まで及んだという。「大水後」とは、この時の水害とその後の状況のことを指すか。「大水」に大逆事件を暗示する意図はあっただろうか。啄木の一〇月一〇日付の宮崎郁雨宛書簡に「序文は藪野椋十が書く」という記述がある。
 この注を書いたとき、災害を報知する役割の絵はがきがあるに違いないと思ったが、すぐ見つけることはできなかった。

 きょうは、水の都の古本展の3日目。17時半ごろに訪れると、初日には盛況で割り込む隙がなかったモズブックスの絵はがきのところに人はいなかった。初日には、日露戦争関連の美人絵はがきを数葉、買い求めたが、他の箱は見ることができなかった。今日は、かねて探求している、横浜大桟橋を探すのが目的であったが、そちらは空振りで、東京市大水害の絵はがきが見つかったのである。

 下欄の解説には、「(東京大洪水) 明治四十三年八月  両国停車場附近浸水」とある。
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 背景の高架は鉄道。両国駅の近くで、横網町か小泉町あたりであろう。

 八月、啄木はまだ『一握の砂』の構想を固めておらず、こうした被害の報に接していたのであろう。