徳田秋声の原稿

『文章倶楽部』は、投稿少年たちに、作家を身近な成功者として見てもらうため、さまざまな編集上の工夫を凝らしている。

原稿写真の掲載もそのひとつ。保存の良し悪しによるのか、刊行当時の紙質に違いがあるのか、写真版が鮮明な号と、そうでない号がある。

大正5年11月の第七号は、徳田秋声の原稿を紹介。比較的鮮明なので紹介しよう。

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原稿は次のとおり。()内が、吹き出しで補筆した部分。

比留間彌生子が、母親のお節につれられて、(初めて) 青山の(にある)隼田の(と云ふ些とした富豪)の屋敷へ奉公に出たのは、彌生子が十九の歲であつた。
 彌生子の家は四谷の荒木町の方で(に)あつたが、その頃(その家族)はひどく零落れてみた。(父親は)一時はある會社で、可也重要な役を勤めてみたので、彌生子が十二三の頃までは相當に贅澤な暮しをしてみたが、少し失策があつて——それも悪い仲間の犠牲になったようなものであつたが、兎に角裁判沙汰にまでなつて、(東京の地方裁判、控訴院、宮城の控訴院と) 長いあひだ其方此方と事件を持つてまはられた。父親は刑の執行猶豫で、体だ(刑だ)けは先づ脱がれることがーー

解説は次のとおり。

德田秋聲氏の原稿としては、之などはきれいな方である。もっと、直しの多い、苦心惨憺の跡を見せたものがある。小栗風葉氏などは、辞句、即ち云ひまはし方に主として苦心するやうに見える、だから、細い直しが多い。秋声氏には、さういふ細い直しが少ない代り、直す時には二三行位消して書き直す場合が多い。一体、秋聲氏は、勿論文章にも苦心はされるが、しかし、氏の創作上の苦心の焦點は文章の上にあるのではない。隨って氏は腹案に苦心される。故に、原稿は割合にきれいなのである。