大塚英志著『ミュシャから少女まんがへ 幻の画家・一条成美と明治のアール・ヌーヴォー』(角川新書)が刊行されたのが昨年7月。感想を記そうと思いつつ、時間が経ってしまった。昨年の秋に書きためたメモをもとに、わたしが興味をひかれた点についてまとめておきたい。
「日本近代の大衆的視覚表現における少女や女性キャラクターの「描き方」のOSの形成にミュシャは大きく作用している」という視点から、『明星』や『新声』で活躍した、忘れられた画家一條成美(大塚氏は一条と表記しているが筆者は一條と表記する)の位置づけを試みた本である。序章、終章では少女マンガとの関連もふれられている。
「あとがき」にあるように、2018年に大塚氏の求めに応じて一條成美について報告をしたことがある。その時は、一度はお断りをした。なぜなら、一條は特異な画家であっても影響を残せなかったし、一代限りの個性だと思っていて、木版など版の表現の可能性を推し進めた藤島武二のほうが美術史的には重要だと考えていたからである。また、大塚氏が一條の資料をたくさん集めていて、こちらが付加することはないように思えたことも最初辞退した理由の一つである。しかし、その時、『明星』における版の表現と印刷手法をからめて総覧したいと考えていたので、一條を含めて明治期の画像表現について見直してみようという趣旨の報告をした。その過程で、大塚氏が一條に深い関心を持つ意味が少しずつわかるようになった。
「明治後半の雑誌メディア」のデザイン様式が、「明治三〇年代前半すなわち一九〇〇年のパリ博の時期を境に一挙にアール・ヌーヴォー様式、ミュシャ様式に変わる」と大塚氏は指摘する。これはそのとおりで、本書で大塚氏が紹介している明治期の雑誌表紙の切り取り集を見てもよく分かる。アール・ヌーヴォー様式は、こうした雑誌のみならず、チラシや広告にまで波及していった。大塚氏は、ミュシャを「ローカライズ」したのが一條だととらえている。そのままの模倣ではなく、日本の現状を考慮した上での様式の移植が、「ローカライズ」の意味であろう。
報告のために、一條の挿絵や表紙画を見直して、徐々に大塚氏が評価する意味がつかめてきた。たとえば、『明星』から『新声』に移って、はじめて掲載した《牛乳乙女》(『新声』第5編第1号、明治34年1月15日)という図がある。中高の横顔の表現は、和風ではない。たとえば、ボッティチェリの描いたシモネッタ・ヴェスプッチの肖像と比較してみよう。一條の少女像が幼形的要素を残していることを別にすれば横顔の輪郭はよく似ている。
額から鼻へのラインは手塚治虫の女性キャラの描き方にも似ている。顔の表現は西欧絵画から学んでいるようだ。そうした西洋的な要素を違和感なく和の構図に埋め込んでいるところが、一條の特徴である。初期の細線による表現を残しながら、輪郭線はミュシャ様式から学んで太くなっている。絵を描く人なら判別できるのかもしれないが、モデルを使って描いているのか、モデルなしで想像的に描いているのか、どちらだろう。《牛乳少女》のS字型の身体の線は、モデルなどなくても描けるのだろうか。
竹久夢二も藤島武二も西洋の原画をそのまま模倣して作画した事例があることが分かっている。一條にもミュシャからの模倣事例などがある。ただ、『明星』や詩歌集に寄せた一條の挿絵は、完全模倣ではなく、独自のローカライズ=消化・昇華を経たものが多い。絵ハガキなどに女学生は多く描かれているが、一條の描く少女像はそれより少し年齢が下である。
*『新声』第5編第6号。臨時増刊『卯花衣』口絵「行く春」
成美を示す「成」の署名の下に「よしだ刀」とあるのは、彫刻家を示している。
大塚氏はミュシャの書式(描き方のコード)が少女マンガの源流であると指摘しているが、絵柄としてそれを具体的に示しているのが一條ということになる。『みんなのミュシャ展図録』(2019年、日本テレビ放送網)に収録された「明治期のミュシャ様式文芸誌群と言文一致」という文章で、大塚氏は、「挿画などで太い輪郭線とその内側の筆致からなるミュシャ様式の絵を残しているが、しかし一條が際立っているのは、『明星』の表紙で見せた線の強弱のあり方や何より女性たちの表情に、少女マンガの絵の原型のような鮮烈な印象があるからだ。」と指摘している。また、「一條成美は未だ、忘却の中にある。それでも一條こそが、明治期にアール・ヌーヴォーを最も繊細に受容し、やがて少女マンガへと連なる表現へと発展させるきっかけとなった画家のひとりであったという評価を、ぼくは変えるつもりはない。」と書いてもいる。
大塚氏が紹介しているもので、いちばん驚いたのは、明治35年の『新声』第7編1号の表紙画である。最初はツイートで紹介されたと記憶するが、剣と書物を手にした少女像は、花冠とうねる髪の線を見て分かるようにミュシャの影響を受けている。独自なのは幼さのある表情である。
ツイートで一條成美を検索してみると、展覧会(「みんなのミュシャ」展、「ミュシャと日本、日本とオルリク」展)で一條の絵を見た人たちが、画集がほしいなど反応を示しているのがわかるが、特に記憶に残ったのが、大塚氏の本に反応しているkita082(@kitaoyasoji)さんの午前2:06 · 2019年8月6日のツイートである。わたしがブログに上げた一條の表紙画(明治35年12月15日、第7編第2号)を彩色して提示している。「萌えの源流」というハッシュタグがついていたりもする。彩色された表紙画は、まさに少女マンガそのものといってもいい感じである。
この、いまに通じる感触を明治期に実現している一條成美という画家の不思議を実感した時、大塚氏の一條評価がよく理解できた。本書は新書版で図版が小さいのが残念であるが、一條の多くの作品が図版として掲載されており、一條の小画集と言ってもよい内容になっている。従来、不分明であった経歴も、逮捕されたことなども含めてあきらかにされている。
ミュシャの影響を受けた画家はたくさんいるが、一條のように独自の「ローカライズ」を行った者はいない。藤島の描く女性は大人びているが、一條の描く少女は可憐さに満ちている。大塚氏は田山花袋の『野の花』の口絵に恋愛を神聖化する「甘美な感情」の視覚化を見出しているが、二人の少女像は少女性の自己肯定を暗示しているのではないか。女同士は、たとえば、鷗外に見出された宮芳平が好んだ構図で、ナビ派に源流を求められるが、男子中心主義からの回避を表しているようにも考えられる。
*トリミングあり。『野の花』(明治34年6月、新声社)口絵
『明星』によって、少女から乙女への成熟を肯定的に歌にしたのは与謝野晶子であるが、その萌芽は、一條の少女画を誌面に登場させた鉄幹にあったのではないだろうか。大塚氏の次のような指摘は傾聴に値する。
花袋が描いた柳田の恋において、少女はただ男たちの語る詩に耳を傾け、その男の恋の文学の一方的な題材となるしかなかったが、『明星』は彼女たちを恋の文学への参加者とし、門戸を開いたのである。そのことは大きい。
彼女たちはこの後、リアルタイムで進行していく晶子らの恋を読者として読み、それを模倣し、投稿少女となる。実際に投稿したか否かでなく、それが一条の絵を介して自己像として彼女たちに与えられたのである。
一條の少女画が投稿少女たちに自己像を与えたという点に一條の独自性があることになる。紙誌面で活躍する画家は多かったが、女学生より少し下の年齢の「投稿少女」を意識した画像を提供したのが一條成美であったのだ。
この「投稿少女」が時代を経てどのように変化するかということについて、大塚氏は次のように書いている。
この「投稿少女」が時代を経てどのように変化するかということについて、大塚氏は次のように書いている。
だが、花袋にせよ葉舟にせよ、言文一致体、そして『明星』の詩の様式は、いずれも男たちがつくり与えたディスクールであり、その言語空間の中でのみ投稿少女たちは「私」を表出することが可能であった。小説の芳子のように美知代はあっさりと良妻賢母にはならなかったが、大正を通じて婦人雑誌の作家に転じていき、それはミュシャ様式が婦人雑誌や三越のポスターに転じていく運命と重なるのである。そしてそれ以降の投稿少女たちはその良妻賢母となるための刹那の時間としての「少女」を過ごす囲い込まれた投稿空間の中で生きるのである。
芳子は花袋の『蒲団』の女学生の名で、美知代はそのモデルとなった岡田美知代を指している。この一節は、一條がなぜ女学生よりも少し年下の少女像にこだわったのかという問いへの答えを含んでいる。束の間の虚構の自由を享受する「投稿少女」に、一條の絵は正確に形を与えたのである。それは、芳子=美知代の内面の理想に輪郭を重ねることができた。男性の性的対象としての女学生からはずれる少女像が投稿少女の内的理想だったとは考えられないだろうか。
さて、一條には独自のミュシャのローカライズを実現する画力があったが、その文化的コンテクストを自分で構築する力はなかった。演出家としての鉄幹が必要であったのである。大塚氏の指摘で重要だと思ったのは、日本文学会編の合同詩文集『神来』(明治33年7月25日、松栄堂書店)について述べたところである。木村鷹太郎が中心となっていた雑誌『日本主義』に掲載された詩文をまとめたアンソロジーであるが、装幀など編集の実務は与謝野鉄幹があたっている。
*裏表紙。伝統的図柄の装飾化
大塚氏は、まず『神来』という書名について、徳富蘇峰の『静思余録』に収録された「インスピレーション」という小文に由来していることを指摘する。
蘇峰の「けだしインスピレーションは神力なり、我自ら我より超越し、人間自ら人間より超越し、人間にして天使に類する行いをなすがごときは、みなこのインスピレーションに基づくものなり。」という一節から、「ここにある「天使」という比喩は一条の表紙が恐らくは蝶の羽の妖精画を下敷きにしつつ、羽は「天使」のものに替えた少女を『神来』の表紙にしたこととも呼応するはずだ。」と大塚氏は推定している。また、蘇峰が続いて、インスピレーションがおとずれる瞬間を「雲のごとし」とたとえていることから、口絵に描かれた雲間の女神との関連の可能性についても、大塚氏は指摘している。
『神来』表紙画の有翼の女性は、木版であるが、まだミュシャ風の太い輪郭線は現れていない。有翼、有羽の女性は、大塚氏の指摘のように「蝶の羽の妖精画」から影響を受けている。天使像からの転換という視点も可能だろう。蝶の羽を持つ女性像は後に杉浦非水によって、三越の広告画像に多用されることになる。山口昌男が「蝶々と人魚——大正のシンボル」(2018年9月、『古本的思考』晶文社、所収)で、エルヴィン・ローデの『プシュケー』にふれて、「プシュケー」というギリシア語が魂とともに蝶の意味を持つことを指摘していることを紹介しておこう。
さて、大塚氏は、鉄幹が『神来』を可視化するために、一條を抜擢し、一條はそのねらいを実現したとするが、一條の限界について、次のように指摘している。
結局、画家・一条と編集者・鉄幹がコラボレーションした書籍は『神来』一冊のみだ。同書は既に見たように徳富蘇峰のエッセイを示しつつ、挿画を引き出す鉄幹のプロデュース能力があって初めて一条は光る人であった。一条と同郷の窪田空穂は一条を「気分に酔って行く」と筆が乗るが、そもそも「創作力の乏しい人であった」(窪田空穂 『歌話と随筆』昭和二八年、一誠社)と回想している。それは案外と的を射ていて、一条が鉄幹のつくり上げた世界なしで創作できない人であった本質を正確に見抜いている。それが一条が失速していく理由であったように思える。
『神来』の表紙画を眺めていると、その新しさをじわじわと実感できる。木村鷹太郎の「神来」という序文に、書名は鉄幹の提案であり、「表紙」「挿画」は一條成美が好意を表したとある。
挿絵に署名はないが、木村の「神来」という序文から、一條の手になるものだということが推測される。少しそれるが、挿絵は詩文と照応するように工夫されていることにふれておこう。一例を挙げると、花を手折るという詩句に花の絵が対応している。この詩画の照応はすべての挿絵に一貫している。
挿絵に署名はないが、木村の「神来」という序文から、一條の手になるものだということが推測される。少しそれるが、挿絵は詩文と照応するように工夫されていることにふれておこう。一例を挙げると、花を手折るという詩句に花の絵が対応している。この詩画の照応はすべての挿絵に一貫している。
*詩は、「あやめ」名義の「な手折りそ」、「みめ美はしき乙女子は/かざしにせんと其花を/やさしき手して手折るなり。」
*髪が雲と一体化し、「INSPIRATION」の文字が記されている。
表紙画、口絵の神話化された女性像は、男性視点から作られたものだが、女性性の自己肯定の画像化の意味を持ち、与謝野晶子の歌風の出現を準備したともいえるのではないか。
大塚氏は、鉄幹が一條の新味を出した画風を演出し、枠組を提供したといい、一條は『新声』に移って以降も少女画を書き続けるが、枠組は鉄幹からあたえられたものを使っていると指摘している。『新声』の表紙や挿絵の少女画は生彩があるが、『新声』には『明星』にあったコンテクストがなかったのである。
大塚氏は、鉄幹が一條の新味を出した画風を演出し、枠組を提供したといい、一條は『新声』に移って以降も少女画を書き続けるが、枠組は鉄幹からあたえられたものを使っていると指摘している。『新声』の表紙や挿絵の少女画は生彩があるが、『新声』には『明星』にあったコンテクストがなかったのである。
『明星』が隆盛を迎えようとしていた時、『文壇照魔鏡』(明治34年3月、大日本廓清会)という鉄幹を誹謗する書が刊行された。これまで、この冊子の執筆者を推定する議論がなされているが、大塚氏の意見は、編集者としての佐藤儀助(義亮)に注目するものだ。大塚氏は、次のように書いている。
儀助はこの事件でライバル誌『明星』というより編集者・鉄幹を殺すつもりであったのではないか。その結果、確かに『明星』は失速する。しかし、皮肉にも鉄幹は彼の編集者としての最高傑作『みだれ髪』を一条抜きでつくり上げるのである。そういう二人の編集者同士の確執というより、恐らくは儀助が一方的に鉄幹に感じた嫉妬の如き感情がこの怪文書事件の根底にありはしないか。
こうした見解に大塚氏が達したのは、国文学者小島吉雄の『山房雑記』(昭和52年4月、桜楓社)収録の「『文壇照魔鏡』秘聞」で記述されていることが基になっている。末尾に「昭和五十一年八月末成稿)とあって、『山房雑記』初収録だと思われる。大塚氏が引用している部分にかさなるが、その一部を紹介しよう。
さて、今だからもう事の真相をここに述べても差し支えないであろう。本当のことを言えば、この秘密出版書は、一条成美が材料を提供し、それを佐藤橘香(新声社主、本名儀助) と田口掬汀とが一夜がかりで書きあげたものである。そのことは鉄幹にも大体の察しがついていたのである。
だから、新声社を告発することにもなったのであるが、彼らは極めて巧妙な仕組みでやったことだから、なかなか尻尾がつかめず、警察も確乎たる証拠を握ることができなかったのである。抑ゝ『明星』は第六号から四六倍判になり、その表紙を一条成美が描いた。それが読者に大いに受けた。宣伝マッチのラベルにまで利用されるほどであった。そのマッチをわたくしも持っている。ところが、第八号の発売禁止以来、成美と鉄幹との仲が今までのようにしっくり行かなくなった。窪田空穂氏は成美と同郷であり親しくもあったので、間に挟まれて困った旨をその追憶談にしるしている。三十四年二月になって、成美は到頭『明星』を飛び出し、『明星』の競争相手であった『新声』に奔った。成美は胸中のうっぷんを晴らすために鉄幹の悪口を新声社の連中に話した。新声社の方では「明星』と鉄幹とに対する妬みと弥次馬的心理とで成美の言を採りあげて、針小棒大にあることないことを面白おかしく書きあげたのが『文壇照魔鏡』一篇であった。
金子薫園は、新声社、新潮社の編集に深くかかわっていた。薫園と小島の関係について、歌の道における師弟関係があるのではないかと、かねてから思っていた。調べると以下のことがわかった。
小島吉雄は新古今和歌集の研究で知られ、大阪大学教授、関西大学教授などを歴任している。歌文集『能古』(昭和47年11月、初音書房)の巻末の「著者略年譜」に次の事項を見出すことができる。大正五年の項に「金子薫園の「歌の作り方』を読み、短歌研究会に入会す。」とある。この時は、大阪府立四條畷中学に在学し、脚気で療養し、土蔵の隅に『文藝倶楽部』や『新声』を見つけて耽読したとある。大正七年にはインフルエンザに罹患し、一年間休学を余儀なくされている。大正八年に復学したが、「十月、金子薫園氏「光」創刊。」という記述があり、翌九年には「「光」京都支部を創設、歌作に熱中す。」と記されている。この時は三高の文科甲類に在籍している。小島は、青年時より歌の師として薫園との関わりがあったことが分かる。その関係の深さを考慮した時、『文壇照魔鏡』についての薫園からの直話は信憑性が高いといえるのではないだろうか。
編集者としての佐藤義亮(儀助)が編集者としての鉄幹の追い落としをはかったという大塚氏の推定は、雑誌出版界における覇権闘争という要素が潜在していることも暗示する。田口掬汀は年若い雇員であり、上司である佐藤義亮の方針に従ったということであろう。
研究史をあたると、もう一つの直話説があり、その経緯は岡保生「『文壇照魔鏡』の著者」(初出、1975年6月、『学苑』426号、平成元年9月、『明治文学論集2 水脈のうちそと』明治書院、所収*引用は後者による)に記されている。日本近代文学会に、新潮社で活躍した中根駒十郎を招く機会があり、交渉の過程で、岡は『文壇照魔鏡』の執筆者について中根に質問した。
わたくしは中根邸での対談の何回目かに、話題が『照魔鏡』に及び、あれはだれが書いたのですか、と聞くと、中根さんはすぐ「あれは田口掬汀という文士で、あのころ新声社にいたんです」と言われたのである。「掬汀」と呼びすてであった。そして、「もういまなら事実を言ってもいいと思いますから」とのことだった。
岡は、入社まもなく、鉄幹をしらない田口掬汀であるからこそ、悪罵を記すことができたとも推定しているが、職場における上下関係を考慮しない点で、田口掬汀が気の毒だと思う。田口掬汀は作家高井有一の祖父にあたり、家庭小説だけではなく、美術の通信教育をおこなう日本美術学院を設立している。掬汀を描いた高井有一の『夢の碑』には、『文壇照魔鏡』に関わる記述はない。日本美術学院の活動については、及川益夫『大正のカルチャービジネス』(2008年5月、皓星社)という研究がある。
田口掬汀は、新入社員として佐藤義亮(儀助)の指示に従っただけだろう。中根は新声社、新潮社のインサイドに深くかかわっており、佐藤を免罪する意図がなかったとはいえないだろう。小島吉雄が聞いた薫園からの話のほうが、新声社の経営体制を考えた時、信憑性が高いと考えられる。
田口掬汀は、新入社員として佐藤義亮(儀助)の指示に従っただけだろう。中根は新声社、新潮社のインサイドに深くかかわっており、佐藤を免罪する意図がなかったとはいえないだろう。小島吉雄が聞いた薫園からの話のほうが、新声社の経営体制を考えた時、信憑性が高いと考えられる。
この他にもふれるべき点が多いが、メモに基づいて今書けることを整理した。「第二章 言文一致と日露戦争」は示唆に富み、言文一致については最近「明治期の言文一致と翻訳の言説生産」という特集がLibrary iichiko 148で組まれたし、日露戦争とアール・ヌーヴォーについては、戦争の美的イメージ化という昭和につながる課題があるだろう。(木股知史)
〔付記、2020/11/27〕『新声』表紙図版の第7巻第2号を第7巻第1号に差し替えた。唇の紅の入れ方など鑑賞されたい。傑作である。髪の表現はあきらかにミュシャの様式を踏まえているが、羽のような形は、妖精の蝶の羽を暗示しているようだ。明治35年の新年号からこの表紙が使われた。いつまでかは確認できていない。
〔付記、2020/11/28〕過去記事に《『恋愛と文学』》を追加した。
*一條成美関連記事
《牛乳乙女》
《『恋愛と文学』》
《一條成美》
〔付記、2024/06/08 15:33〕
大塚氏のXによれば、2024年6月に重版したそうだ。
【編集履歴】2022/12/07 12:44
大塚氏著の書名誤記修正しました。
