余談、雑誌『藝文』の総目次

🔶ネオ・ロマンティシズムの傑作見つからず。
過去記事《佐佐木なにがしの傑作『薬草採り』とは》から一部引用する。
長田幹彦『人間叙情』(昭和28年、要書房)に「青春グループ」という回顧の章があって、パンの会周辺の人々を耽美派ではなく「ネオ・ロマンティシズム」と呼んでいる。
 幹彦自身については「僕はネオ・ロマンティシズムでも一番散文的な途をたどり、稍ゴルキイ的なものを身につけてはじめて文壇に登場したが、しかしその時には、既にネオ・ロマンティシズムではなくて、俊敏な批評家片上伸は僕のために「新感傷主義」というイズムを創始してくれた。」と記している。「祇園」ものをかいて「低俗のラク印をおされ、自分で求めて大衆作家の境涯」へ入っていったと述べている。
 その長田が次のようなことをこの章の末尾に記していて、とても気になった。

 「ネオ・ロマンティシズムの全作品を通じて僕が今でも一番高く評価しているのは、「芸文」という雑誌に出た佐々木という人の「薬草採り」という作品である。それ以後その作家は杳として消息をたつてしまつた。」
この『薬草採り』が掲載されているかどうかを確かめたくて、『藝文』の総目次をつくった(「つくった」といってもコピーアンドペーストしただけだが)。

しかし、見つけることはできなかった。長田の記憶違いなのか。

初期の『藝文』は創作も掲載しているし、1911年、2巻2号に「新ローマンチシズムの意義 / 小笠原秀實/p154~161」という論文を見出すことができる。

宮島新三郎『改訂明治文学十二講』(昭和13年3月25日、大洋社)の11講は「ニオ・ロマンティシズムの文学」で、自然主義は現実に真を見出したが、ネオ・ロマン派は、現実に美を見出したとし、谷崎潤一郎、永井荷風、鈴木三重吉、森田草平、小川未明の名をあげている。また、西欧の唯美主義に類比できるとしている。

『薬草採り』を読んでみたいものだ。作者掲載誌がわかる方は教えてほしい。

🔶深田康算(ふかだ・やすかず)
感情移入、追体験美学を紹介し批判した深田康算(1878−1928)がたくさんの論文を書いている。

調べると、長濱 一真「深田康算をめぐってーーケーベル、和辻哲郎、そして近代」(「文芸研究 」(5), 1-53, 2008)という論文があった。

哲学、美学、思想史の立場からのわかりやすい人物評伝はないのだろうか。
1928年19巻12号に追悼文が載っているが、上田敏の時のような追悼特集が編まれていないのはさびしい。

🔶千里眼
「千里眼」で検索すると、三浦恒助の論文が2つヒットするが、オタさんが何度も記事にしている人物である。

🔶京、大阪の古書市でもこの雑誌はあまり見たことがない。《日本の古本屋》で絞り込み検索をかけても、5件程度ヒットするのみ。
2017年の生誕150年記念藤島武二展に、藤島が表紙画を描いた『藝文』が一冊、展示されていた。図録にも掲載されている。いま、確認すると、3巻11号である。総目次では、表紙画の記述はない。

しかし、1913年4巻1号は、表紙画が藤島武二であることが記されている。

おそらく、上田敏の依頼ではないかと推測される。

🔶明白な誤字も訂正していないので、検索されるときは、注意されたい。

〔付記、2021/04/05 11:24〕
《神保町系オタオタ日記》の「京都帝国大学文科大学(のち文学部)内京都文学会編集の『藝文』ーー『藝文』の卒業論文題目に平田内蔵吉や三浦恒助ーー」という記事で、オタさんが雑誌『藝文』について書いている。
実物の最終号の「件名索引」に『薬草採り』は見出せず、「著者索引」でも「佐々木」「佐佐木」は、「佐佐木信綱」以外には見出されないということである。
誌名が、長田幹彦の思い違いなのか、文学史から洩れた少部数の同人誌『藝文』があったのか、わからない。
とりあえずは、『薬草採り』についての長田以外の人の言及があるかどうかを注意してみたい。

2017年の生誕150年記念藤島武二展図録(2017年、東京新聞)から、『藝文』第3年11号(1912年)の書影を引用しておこう。初期は表紙も文芸誌の印象が濃い。「初期『藝文』と東京文壇」なんて、よいテーマかも。
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