『本邦オフセット印刷の開拓者 中西虎之助 日本平版印刷発達史』(昭和31年12月3日、凸版印刷株式会社、編集増尾信之)。
工業高校に寄贈された図書館の除籍本。たぶん技術的には過去のものだから、廃棄となったのであろうか。布装でしっかりした造本で長らく書架に眠っていたのであろう。
個人的には、平版印刷、なかでも多色石版に関心がある。石版からオフセットがどのように生まれたのか知りたいと思っていたが、本書は中西虎之助の伝記でありながら、印刷技術の発展の歴史についても詳しく記述している。
どれだけ続くかわからないが、ノート代わりに、読んだ部分についてメモを記していくこととする。
まず、「年譜」から摘記して中西虎之助の略年譜を示しておこう。もとの「年譜」は印刷技術の発展史も併記したきわめて詳しいもの(13頁分)であるが、生涯の輪郭がつかめるよう簡単にまとめたものを示しておこう。
1866年 京都市に生まれる。
1880年 14歳。本木昌造経営の京都点林堂印刷所に入る。
1882年 16歳。銅版印刷、石版印刷を研究。
1891年 25歳。点林堂印刷所を退所し独立、中西英成堂を興す。
1892年 26歳。石版印刷開始、最初の仕事は「南無阿弥陀仏」の妙号印刷。また、村井兄弟商会の印刷受注、煙草包装に電気銅凸版法を使い、成功。
1894年 28歳。村井商会「ヒーロー」発売。中西英成堂、電気動力線敷設。
1896年 30歳。村井商会の煙草カード、裸体画で発売禁止処分。
1898年 32歳。村井吉兵衛の依頼で人工三色版試行。
1899年 33歳。二条印刷所に村井吉兵衛がアメリカより購入したるアルミニウム輪転平版印刷機設置。12月、村井、東洋印刷(株)を興し、中西は専務となる。
1902年 36歳。東洋印刷を辞し、中井徳太郎とアルモ印刷合資会社を設立、専務となる。
1907年 41歳。上海のアメリカンシガレット工場でオフセット印刷機を見学。
1909年 43歳。石版印刷の胴刷りでオフセット印刷を試みる。
1912年 46歳。アルモ印刷を脱退上京。
1913年 47歳。東京鎌倉河岸に市田幸四郎とオフセット印刷会社を設立。
1914年 48歳。 アメリカよりハリスオフセット印刷機到着。
1915年 49歳。ハリス輪転機で御大典記念絵葉書を印刷。9時間30分で7万通印刷。9月ポッター機導入。
1916年 50歳。ポッター機で鉄道院四六全判地図を印刷。
1918年 52歳。12月、オフセット印刷合名会社、凸版印刷会社に合併。
1919年 53歳。凸版印刷会社常務就任。
1923年 57歳。震災で打撃を受けるも、12月までに全機修復。
1926年 60歳。ローラーの研究に着手。
1930年 64歳。監査役となる。胃腸病に苦しむ。
1937年 71歳。凸版印刷退社。
1940年 74歳。杉本胃腸病院にて死去。
本書編集企画にあたった伊藤亮次は「発刊に際して」に、「中西前重役は京都専売局印刷工場(現在の専売公社印刷工場)の前身、村井兄弟商会の東洋印刷会社の専務となって金属平版を始め、また大阪アルモ印刷会社を創設してわが国の金属平版に先鞭をつけ、大正三年には東京神田鎌倉河岸にオフセット印刷合名会社を立てて米国よりハリス・オフセット印刷機を輸入し、日本で始めてオフセット印刷の営業を開始した。」と述べている。
煙草カードや絵葉書の印刷が出てくることが興味深い。
