本、書類の整理を始めてもう2年になる。
本は約1万冊を整理した。まだ残っている。
やっかいなのは、資料のコピーなどの紙ものである。
整理ができていないものはすぐ引き出せないし、PDF化するといっても、その時間がたいへんである。
いつまでも書きものができるわけではないし、思い切って処分してしまうほうに気持ちが傾いている。
一種の自己解体のようなことであるが、処分していけば、見えてくることもあるかもしれない。(ないか。)
おもしろいものが見つかった。1986年2月23日の関西啄木懇話会での発表資料(「石川啄木『我等の一団と彼』—知識人の場所−」)である。この会はもう消滅している。
わたしは発表したことも忘れていた。文章化もしていない。この資料があれば、文章化できるはずなのに、怠け者であったのだ。
会は、一般愛好者もいたので、学会発表よりも少しゆるい作り方である。手書きであるが、方眼紙を使っていたと思う。
調べるとワープロの発売は、1986年5月で、この時は手書きが当たり前だったのだろう。
山口昌男や赤坂憲雄を使っているのはご愛敬。
縦2段が基本で、二つ折りして冊子にできる様式は、この頃から使っていたようだ。
小田切秀雄の、漱石『行人』よりも先んじていて、最後に高橋彦太郎の〈手記〉が置かれる可能性があるという小説形式についての指摘はおもしろい。
『我等の一団と彼』の注釈を作って、最後にその〈手記〉を模作してみる、というようなことを考えていたがもうできない。
発表資料の最後のところを引用しておこう。
大逆事件の発生は、啄木が書きあぐねていた謀反人のイメージを現実化した。小説の空白を、事件が状況的に先んじたのである。『我等−』が中断し、啄木が事件の全容を把握することに全力を傾注したのはそのためである。そして、啄木が知ったのは〈乱臣賊子〉(異人)を自らつくりだして、秩序を守ろうとする国家権力の姿であり、それを黙認する日本人の国民性の実態であった。
