小泉鐵(こいずみ・まがね)のこと

《神保町系オタオタ日記》の記事、「『白樺』同人で『台湾土俗誌』著者小泉鉄の晩年ーー中央公論社編集者三沢澄子宛書簡からーー」を読むと、『日本近代文学大事典』が引かれていて、そこに「美術紹介」の語がある。

洛陽堂から出た『泰西の絵画及彫刻』全5冊(絵画篇4巻、彫刻篇1巻)の編集をしたのが、小泉鐵であったことを思い出す。第5巻「上古篇」は木村荘八の編集である。

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この本の図版は、雑誌『白樺』掲載のものを再掲したものが多いことを、田中英夫『洛陽堂河本亀之助小伝』(2015年11月15日、燃焼社)が指摘している。洛陽堂主人河本が、売れ残った『白樺』の図版をまとめてゾッキに出したものが出回って、武者小路が不満を漏らした。
そこで、おもての企画として出されたのがこのシリーズで、小泉が編集にあたり、そのことは第一巻序に小泉自身が明記した。しかし奥付は河本の編輯発行となっている。

田中氏によると、次のような事情であった(421頁)。

 小泉は、編輯にあたるものの白樺同人は与り知らぬ洛陽堂の出版事業だと、含みのある言いかたをした。それでも内容について責任は小泉にあるとはっきりさせた。小泉の名は奥付に現われないので、編輯兼発行者河本亀之助が著者としてひとり歩きしはじめて今にいたる。
 闇に流さぬ洛陽堂版絵画篇第一巻と同日に第二巻を出版、三巻の予定を四巻に改め、一ヶ月のち一二月二三日に第三巻、年明けて一六年一月一日に彫刻篇、四月一日絵画篇第四巻と、予定どおりすすんだ。これより二年、一八年五月二六日第五巻上古篇は、小泉をひきついだ木村荘八編輯によって続刊される。美術史的文脈とは別に白樺同人の好みに従って紹介された、と指摘された『白樺』挿画は、ここに並べかえを試みられたのだった。

「好み」による紹介が、「美術史的文脈」に置き換えられたという指摘はおもしろい。


油彩画の図版は、モノクロの再現で精度は劣るが、ゴッホのドローイングや、ビアズリーの図版はもともとモノクロなので、細かい感触がよく再現されている。

一例を挙げると、第三巻で《塩焼き》というゴッホのドローイングが紹介されている。1888年の《Cottages at Saintes-Maries》という作品である。

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Siegfried Wichmannの大著Japonisme(1985年、パーク・レーン社の英訳版)には、このドローイングについて次のような指摘がある(p58)。

ゴッホはドローイングを描く際に、日本の風景画のように、対象を上から見た鑑賞者が全体を見渡せるような、大きくてシンプルな平面を好んだ。例えば、1888年の《サンテ・マリーのコテージ》では、ドットのシステムが、切妻側の石積みや道路の砂の質感をいかに示唆するかを示しており、また、抽象的なパターンのように機能する高度な装飾的要素の源にもなっている。

このドットによる表現は日本の版画に暗示を得たもので、『白樺』による紹介で、田中恭吉のペン画のタッチにも再帰的に影響をあたえるという〈ジャポニスムの里帰り〉現象が生じたのであった。