絵草紙屋の店頭で

『文章倶楽部』(大正5年11月)に、田山花袋が「わたしの投書家時代(一)」として、「絵草紙屋の店頭に立ちて」という文章を寄稿している。

なかに、雑誌『頴才新誌』を絵草紙屋で購入していたことが書かれている。花袋が上京した頃の話で、明治23年くらいのことだろう。花袋は漢文や和歌を投稿していた。兄と花袋の家は、市ヶ谷富久町にあった。

 その時分は今のやうに雑誌や本が沢山出るのではなし、只絵草紙屋で売つて居た。而もその絵草紙屋さへも近くにはなくて、富久町から四谷の傳馬町まで二十丁ばかりの處をあるかねばならなかつた。私は発行日を待ち兼ねてよく傳馬町通ひをした。発行日に店に出てみないと、又その翌日出かけて行つて見た。今でも覚えてゐるが私のよく行つた傳馬町の絵草紙屋は魚屋の隣で、店頭には綺麗な絵草紙がいくらも竹に挟んで吊してあつた。ところが困ったととには、絵草紙屋のことだから「頴才新誌」も 往々挟んで上から下げてあることがあつた。で、自分のが出て居るかどうか、下に卸して貰って見れば分らないけれどる幸に出てゐればいいが、さうでない時は態々取り卸して貰つて、買はないと何だか恥かしい樣な變な氣がするので、さういふ風に吊してある時は他の繪草紙屋へ行つて見た。何でも四谷にもそんなうちが四五軒あつたやうに覚えてゐるが、上から吊してないうちへ行ってはそつと開けて見て、載つてゐないと黙つて帰つて仕舞ふのであつた。そんな風で大分素見(引用者注ールビ「ひやか」)した。
*ルビ省略

定期購読すると、自分の投稿が採用されていない号も買うことになるので、費用がかさむ。それで、採用された号のみ購入することにしたのである。

明治20年代では雑誌が絵草紙屋で売られていたことがわかる。

吊されているとわざわざはずして見ないといけないので、竹にはさんでつるされていない店に行ったのである。

竹にはさんでつるすとは、竹に切れ目を入れて、クリップのように雑誌をはさみつるしておくということだろう。

絵草紙屋の写真として、長崎大学図書館所蔵のものがあり、研究もいくつかでている。

それを見ると、確かにつるされている草紙か雑誌のようなものが確認できる。『頴才新誌』は分厚くないのでつるしが可能であったのだろう。

〔2021/09/24〕
引用の誤字修正。