「小冊子メモ」は手持ちの古書をもとに、近代日本の小冊子出版の実態にどこまでせまれるだろうか、という問いから書いた覚書。
うまくいかず、自分の浅さが露呈することになると予測していたがそのとおりになった。文学研究の「文学」という枠に安易に自己限定してきたことが書物形態論、出版史的な問いの設定に対応しにくくなっていることの原因だと思う。「文学」をコンテンツ限定でせまく考えていることも原因か。この点、作品論もテクスト論も同根。
ただ、書物の形態から考えるというやり方はもっと実力のある人が試みると収穫があるのではないかと思った。
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発端は「甲寅叢書」。
明治20年代は、製本技術の限界、啓蒙主義思潮などから多様な小冊子が刊行された。全容は分からず。
十九世紀文学研究会@19cBungakuKenのツイートなど見ていると多様さの一端が見える。
『新著百種』の形態、シリーズとしての刊行は重要。小冊子の源流か。近世の造本を継承か。
講義録は小冊子であることが多い。
宮崎睦之「〈独習〉と〈添削〉とー佐藤義亮の講義録—」(『日本近代文学』第60集)によると、講義録は多数刊行されていたというが、古書で見たことはあまりない。講義録のコレクションがあればいいのだが……。
明治40年代という時期、キリスト教という統一テーマのもとでの各論展開、100頁内外の分量という諸点から考えて、小冊子形式の完成形と思われる。
たぶん、人文系以外の領域でもこうした叢書的小冊子はあるかもしれない。
震災後の刊行。シリーズ叢書的小冊子。「パンフレット」をなのる。
菊半截の袖珍本との棲み分けはどうなっていたのだろう。
隆文館の出版目録におまけが付いている。編集は『新声』編集部。
出版目録も小冊子。
《神保町系オタオタ日記》の「四天王寺の骨董市で買った20大辞典完成祝賀の『郁文舎辞書目録』(明治39年)ーー景品に回転書棚ーー」という記事には郁文舎の辞書目録が図版入りで紹介されている。これも小冊子。
分冊形式の講座もの。
森洋介氏の教示では、こうした分冊形式は、論文抜き刷りにかかわるのではないかとのこと。
この講座は分売はされていないが、教室などでサブテキストとして使われることを想定しての分冊形式だろうか。携帯を重視したものか。
分冊と新書の関係は如何。
美術展のパンフレット、図録も小冊子のものがあったのではないか。
きっかけは、白馬会10回展の『白馬会紀年画集』。
これもコレクションがあればいいが、むずかしいだろう。
『ザツキン』は購入しておいてよかった。
実際に行われたイベントについての小冊子・パンフレットは図書館に保存されていないものが多いのではないか。
〔付記、2021/11/23〕誤記、リンク間違い修正。追記若干。
〔付記、2021/12/11 13:06〕
書物蔵さんがブログ《書物蔵 古本オモシロガリズム》の12月1日の記事「パンフレットの歴史へ」で本記事に触れつつ、氏の過去記事を紹介している。
「日本近代「小冊子(パンフレット)」の歴史:資料論として」では、昭和前期の十銭本が紹介され、参考文献もあがっている。
〔付記、2021/12/20〕明治本に限っても、研究者と古本屋さんのどちらが本を多く見ているかというと、古本屋さんである。商売の体験の蓄積としていろんな知識があるので、聞き手次第でいろんな答えが返ってくるかもしれない。
「明治本で薄い本と言えば何を思い出されますか?」とか「明治20年代は薄い本が多いですか?」とか。
〔付記、2021/12/31〕書物蔵さんによると、「「小冊子」問題の20年 : 国立国会図書館における経緯と関係資料解説」佐久間信子・稲村徹元(1968年2月10日、国立国会図書館)という本があるようだ。
