『月映(つくはえ)』の版画家で、『月に吠える』に挿絵を寄稿している田中恭吉の1910年の日記を読んでいて、分からない記述があったが、謎が解けた。
1910年は、上京して、白馬会の原町洋画研究所にかよっていた年である。
時々、欄外に「〇望」とあって、何だろうと思っていた。
すると、「●朔」とあって、新月のことだと気がついた。それゆえ「〇望」は望月、満月をさしている。
日記には木越しの月などを描いたスケッチが挟まれていることもあり、月がきれいだという主旨の記述も時折現れる。
わたしなどは、月齢を意識することはなく、夜歩いていて大きな月が出ているのを見て驚くことがある。
陰暦は月の満ち欠けに関連しているので、田中恭吉には陰暦がまだ意識されていて、月齢を気にして生活をするという気持ちがあったのだろうか。
井上十吉が英語で、明治東京の人々の暮らしを豊富なイラスト入りで紹介したHOME LIFE IN TOKYO(明治四三年一〇月、東京印刷株式会社)という本がある。
この本は論文で使ったことがあるが、THE SEVEN HERBS OF AUTUMN.と題された色刷り木版の口絵がついている。団扇を持った和装の女性がたたずみ、周囲に秋の七草が描かれているという図柄の口絵だ。女性は左手に団扇を持ち、口元を隠すようにしている。本文を見てみると、人々は一三夜の月の時に秋の七草を見に出かける習慣があったという趣旨のことが英文で書かれている。団扇の形は、十三夜の月に見立てられているのであろう。
明治の人々には、月の満ち欠けがいまよりずっと身近なものであったことは推測される。
1990年代のことか(?)テレビドラマ化された『東京ラブストーリー』で、月齢が表示される腕時計が使われて、その時計が話題になった。わたしも買い求めたが、月齢を意識することはまったくなかったのである。
